長年、発展途上国の支援で活躍されてきた斎藤照子さん。ルワンダに骨を埋めようと音楽教師のボランティアをしながら移住を決めました。しかし照子さんの夢はさらに膨らみ、いまは「AMAHORO(アマホロ)プロジェクト」を一人で立ち上げ、奔走する毎日です。「AMAHORO(アマホロ)」とはルワンダ語で「平和」という意味です。ルワンダから発信するAMAHOROは世界中に広がっていくことでしょう。

ルワンダで感じた
本当の「平和」を世界に伝える

対談:斎藤照子氏×中西研二

斎藤照子(さいとう・てるこ)●福島県に生まれる。武蔵野音楽大学ピアノ科卒。1972年、発展途上国の教育支援を開始。50代に友人と社会貢献を理念とする会社を起業。アジア諸国の教育支援を行う。2002年「ルワンダの教育を考える会」に入会。8月、初めてルワンダを訪問。2012年会社を74歳で退職。同年8月末ルワンダ、キガリ市に単身移住。首都キガリ小学校で、ボランティア音楽教師として2016年末まで勤務。2016年7月「AMAHORO」=ルワンダ語で「平和」のメッセージを広く発信するため「虹と鳥と子どもたち」という絵本を世界に向けて無償で配布するプロジェクトを立ち上げる。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来25年間で21万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は8名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。長年のヒーリング活動が評価され、2015年に『東久邇宮記念賞』を、同年『東久邇宮文化褒賞』を受賞。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

「音楽は国境を越える」を実感する

中西 2011年にマリールイズさん(「ルワンダの教育を考える会」理事長)と対談したとき、初めて照子さんにお会いしました。その翌年に照子さんもルワンダに移住されましたが、どうですか?

齋藤 ルワンダが大好きです。国の大きさは四国を少し大きくしたほどの内陸国で、「アフリカのスイス」と呼ばれるほど美しい景色です。

中西 そこでの音楽授業とはどういった感じなのですか?

齋藤 私がいた学校はベビークラスの3歳児から12歳までの子どもがいました。

最初は子どもたちに慣れてもらおうと、されるがままのおもちゃ状態でした。それから次は、伝えたいことを「まず自分でやってみせる」を実践し、子どもたちとコミュニケーションをとりました。例えば向こうはゴミのポイ捨ては平気でします。そしたら私が黙ってゴミ箱に捨てに行く。そういうことをしていたら1~2カ月でポイ捨てする子がいなくなりました。私は日本語しか話せないのですが、言葉がわからなくても伝えることはできるんだ、と感じました。

中西 言葉が通じない場所で音楽の存在は大きかったでしょう。

齋藤 よく「音楽は国境を越える」と言われますが、ルワンダの子どもたちはとても音感がいいので、ピアノを弾いて歌を歌うだけで、すぐにリズムをとって手を叩いたり、足踏みしたり、その場はすぐに一つになりました。「これが国境を越えるということか」と、体験をもって実感しました。

中西 聞いているととても素直な子どもたちですね。日本の学校だとそこまですぐに一つになれるでしょうか。

齋藤 今回日本に戻ってきて、知り合いの小学校の先生をされている方に、日本の学校で「ルワンダでしていることと同じ授業をしてほしい」と頼まれて行ってきました。すると、ルワンダではすぐにカルガモの親子のように私の後ろについて踊りだすのに誰も動こうとしません。それで聞いてみると「めんどくさい」と。もっと聞いてみると、親がしょっちゅう「面倒くさい」と言っているからそう言ったそうです。これには驚きました。でもだんだんそこの子どもたちも体を動かし始め、最後はみんなで踊って歌い出しました。「こうすれば楽しいのだ」ということがわかってもらえてよかったです。

  1. AMAHORO AMAHORO
    我は 祈る
    全ての 人々 共に
    生まれし 一つの 星
    地球の 仲間
    共に 分かち合い 共に 生きる
  2. AMAHORO AMAHORO
    誰もが 願う
    争いのない 世界
    一人 一人の 愛をつむいで
    愛の ベールで 世界を 包む
  3. AMAHORO AMAHORO
    いつの日か 光 増して
    地球 輝く
    全ての 違いを 超えて生きる
    人々の 笑顔に 満ちた 世界

※斎藤照子さんが「長ったらしいこと言わなくてもこの詩がすべて」とおっしゃるテーマソングです。

一冊の物語から生まれた平和のプロジェクト

中西 そのボランティア教師の仕事は去年、一区切りし、いまは新しいプロジェクトに奔走されているんですよね。

齋藤 そうなんです。私の友達で阿波ひろみさんという方がいます。その方のお子さんは重い心臓病で生まれたので、我が子の闘病の苦しみを通して、命というものを非常に身近に強く感じていました。そういう思いで書かれたものを『虹の鳥と子どもたち』という物語にして私に送ってくださいました。

読んだ時、とても心を打たれて、「これは私一人が読むものではない」と感じたのです。

私が長年ライフテーマにしていることがあります。民族、宗教、文化、歴史……私たちはいろいろな「違い」の中で生きています。その違いを否定するのではなく、理解し、乗り超えた上で、みんなと分かち合い、ともに生きようという私の思いと、阿波さんが書いた物語が非常にマッチしたのです。

すぐにこれは絵本にして親子で読んでもらおう。日本語だけでなく、ルワンダ語、英語、フランス語と翻訳し、世界中の人が読めるようにしようと、頭の中でイメージがパーッと広がっていきました。

この絵本を広め、私の思いを伝えることが「AMAHORO(アマホロ)プロジェクト」です。

中西 挿絵がきれいな絵本ですね。この絵もそうですが、みんな照子さんのプロジェクトに賛同してくれた仲間たちが協力してくれたものなのですね。この本は無償で提供されると聞きましたが。

齋藤 はい。一人でも多くの人にこの本のメッセージが届いて、「一人ひとりの心の奥底で輝いていてほしい」というのが私の願いですから。

中西 なかなかできることではありませんね。素晴らしいです。

齋藤 私の生家は裕福な商家でしたが、小さい頃から家族も、そこで働いている人も分け隔てなく生活してきました。父がずっと言っていたことは「分かち合う心と感謝の気持ち」です。そういう環境で育ってきましたので、お金は貯めて腐らせるよりは、自分が生活できる分だけあればいい。お金も自然と同じように循環させようという気持ちが自然と生まれたのかもしれません。

心の奥底に眠る思いやりが奇跡を生む

中西 ルワンダというと私たちは映画『ホテル・ルワンダ』で伝わる内戦による大虐殺をイメージしますが、照子さんはずっとさまざまな途上国の教育支援に携わってきました。その中でルワンダに移住を決めたのはどうしてですか?

齋藤 いろいろありますが、ルワンダの人たちの心の根っこにある素朴で、平和な心です。

ルワンダは世界中から「奇跡の国」と呼ばれています。大虐殺があって23年たちますが、あれだけ想像もできないような苦しみを体験してここまで立ち直ることができたのは本当に奇跡です。なぜこのような奇跡が生まれたのか。それはルワンダの人々の魂の美しさがあったからです。

傷ついたルワンダの人たちに、国のリーダーがこう言いました。「憎しみを忘れなさい」と。「そうでなければこの国は立ち直ることができません」と呼びかけたのです。なかなかできることではありません。ほかのアフリカの国でも憎しみの連鎖が続いているのが現状です。だけど、「もう国がなくなる」という絶体絶命の状況の中で、傷ついたルワンダの人たちの心の底に眠る、素朴な思いやりが復活したのです。「分かち合い」と「お互いさま」の精神です。私たち日本人が忘れてしまったこの心を、私はルワンダの人の心の中に感じました。

これは世界中の誰の心の奥底にもある気持ちだと思うのですが、そのことに一人ひとりが気づけば時間はかかっても必ず大きな変革を起こせるのではないのでしょうか。私は多くの人に心の奥底で眠っている素晴らしい心があることを皆さんに気づいてもらいたいのです。それが今回のプロジェクトで伝えたいことであり、私の願いです。

私の友達で「あなたはドン・キホーテだね」と言う人がいます。そうかもしれません。でも自分でできることを紡いでいって、いつしか大きな愛のベールが地球を覆うようになれば、それぞれがお互いの民族にふさわしい生き方ができるというのが私のドン・キホーテ的な理想の世界なのです。

ドン・キホーテと呼ばれてもいいではありませんか。誰かがやれば必ず後に続く人が現れ、どんどん繋がっていく。そう信じているのです。

中西 間違いなく繋がっていきます。今日はお忙しい中ありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2017年9月号掲載