世界に先駆け電気自動車を開発した日本。その核心技術の第一人者である山下氏は、今も日本中のメーカーに技術協力をされています。常に時代を先取りする視野を持つ山下氏が、「今やらないといつやる」と、もっとも力を注ぐのが子どもの教育。
心を豊かに伸ばす本当の教育とはなにか。すべての大人が意識を変える時です。

子どもが元気になれば
地球はもっと元気に

対談:山下 浩二氏×中西研二

山下浩二(やました・こうじ)●EV(電気自動車)安全協会会長。九州大学にて工学博士号取得後、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)総合研究所に特別研究員として入所、主にモーター及びバッテリーの研究を行う。九州電力株式会社総合研究所の火力・原子力担当を経て独立。プラスバ研究所及びEV安全協会を創設、日本の電気自動車の草創期から活動し、大手自動車会社などにも関連のコンサルティングを行っている。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来26年間で22万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は8名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。長年のヒーリング活動が評価され、2015年に『東久邇宮記念賞』を、同年『東久邇宮文化褒賞』を受賞。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

日本から世界をびっくりさせたい

中西 たくさんの特許をお持ちですが、最初はどんなことがきっかけだったのですか?

山下 自作でモーターを作ってみたら、ちゃんと動くのです。そこから地球ってどうやって回るのだろうと思いました。地球も自転と公転をしていてモーターみたいなものでしょう? そんなふうにどんどん科学の世界にのめり込んでいきました。

それから自動車に興味を持って、モーターの研究をしていました。将来はエンジンからモーターに代わるだろうと思ったのです。エンジンよりも小さく、環境に優しいですからね。そうしたら思った通りハイブリッドの時代になり、トヨタのプリウスの開発には関わりました。

中西 先を読んで行動されているのですね。現在も技術開発に携わっているのですか?

山下 最近で面白いのは、植物性でできているバッテリーが実用化されています。普通のバッテリーは廃棄すると公害になりますが、植物なので土に還り、環境に優しいのです。

中西 すごい! 世の中がびっくりしますよ。

山下 びっくりさせたいですね。日本から世界に発信させたい。日本の技術力は負けませんから。

中西 そういう発想力はどこからくるのですか?

山下 それは小さい頃から生きてきた中でヒントを得ながら、「こういうことをしたら喜ばれるのではなかろうか」と思うことだけをやっているだけです。

今は、全国にいるたくさんの後継者たちが相談事で来ると、そう伝えています。そうやって技術開発に関わっています。

中西 コンサルタントみたいな感じですか?

山下 どちらかといえば相談役です。日本語のほうがしっくりくるので。「どんとこい!」という感じがするでしょう?

中西 わかります。私もヒーリングというよりも愛和だったり、癒しのほうがしっくりきますね。

手を取り合えばすごいことができる

山下 いま力を入れているのが子どものこと。日本の子どもたちは、裕福になったけど不幸な顔した子が多いでしょう。世界中回ってきましたが、アフリカとかアジアの発展途上国の子どもたちのほうがいい顔していますよ。貧乏だけど、心は豊かなのです。日本は金持ちになって戦争孤児はいないけど、親が育てられないという子がたくさんいるのです。そういう子をみんなで一緒に育てていく施設を作りました。名前は「地球元気こども村」です。地球が元気になると子どもが元気になる。子どもが元気になると地球がもっと元気になるという思いで名前を付けました。

中西 なるほど。子どもは地球の未来ですからね。

山下 地球は子どものためにあるのです。我々はどっちにしても地球から去らないといけないのだから、未来を生きていく子どもたちが元気でいる環境にしていくことが本当に必要なことなのです。

中西 まったく同感です。こども村にいる子どもたちはどういう理由で来ることが多いのですか?

山下 親の離婚とか、いろいろです。子どもは天から授かっていると僕は思っているので、誰の子とか関係なく、みんな引き取っています。施設にきて最初の3カ月くらいはしょんぼりしていますよ。でもしばらくするとみんな張り切って畑仕事をしています。子どもは順応が早いです。廃校になった学校の先生たちもみんな呼んで、義務教育までそこでするし、勉強がもっとしたいという子がいれば、その先まで面倒みます。そうやってみんなで子どもたちを育てていって、その中で豊かな心が育って、社会で能力を思う存分発揮してくれるようになったら、そんないいことはないでしょう。

中西 すごい! 理想的ですね。私たちも同じような構想を持っているのです。

山下 一緒にやりましょう。一人ではできないけれど、みんなで手を取り合うとけっこうすごいことができるんです。私は無一文から始めましたが、いつも誰かが助けてくれました。そういうときに神様はおられるなと思います。天はいつも見ていて、正直に生きていれば助けてくれる。そう思っています。今回も天からの計らいで中西さんにお会いする縁をいただきました。

中西 私もお会いするのが楽しみで、ワクワクしていました。

北海道・千葉にある
「地球元気こども村」について語る山下氏

子どもの話をよく聞く

中西 今、メッセージを残したいことはなんですか?

山下 心が豊かで、財政的にはちょっと貧乏なくらいがちょうどいいのです。金は残すものではないですからね。お金がなくても卑屈にならない心構えでいること。それには豊かな心でいるということですよ。

私は戦後の動乱期に親を亡くしているので、生きていくのは大変でした。生活していくのに缶詰工場の売れない缶詰をもらって、それを闇市で売ると驚くほどお金になるのです。そのとき小学校5年生でしたが、儲かるよりも、簡単にたくさんお金が入ることのほうが怖いと思いました。

その頃、学校にお弁当を持ってこられない子がたくさんいました。そんな子は昼時に校庭の隅でじっとしているしかなかったのです。僕は缶詰を売ってお金があったので、そのお金で食料を買ってお弁当のない子たちに配っていました。

中西 社会全体が余裕のない時代で、困っている人に配るってすごいことですよ。

山下 生きていくだけのお金があれば、あとはみんなで分けたほうがいいなと思ったのです。お金は人を歪めるから、怖いってわかっていたので。もしそう思っていなかったら不良になっていたでしょうね。少し貧乏なくらいのほうが成長があっていいんです。

中西 山下さんもそうでしたが、親がいないということだけでも生きていくのは大変ですよ。

山下 私は親なしだったけど、人生の中で出会った素晴らしいお父さんが、自分にはたくさんいると思っています。真面目に正直に生きていれば天がそういう素晴らしい人と巡り合わせてくれる。どんなに悪い環境だとしても、思い方次第で人間はいかようにも豊かな人生を送れる。そう思って生きてきました。

中西 確かに。詰まるところ教育とは豊かな心を育むことにつきますね。

山下 本当にそうです。教育が一番大切です。その教育で大人は何をするかというと、子どもの話をよく聞くことだけだと思うのです。大人の発言は全体の5%程度で、そこでその子が求めている適切なアドバイスをしてあげるだけ。それだけなんです。

中西 高齢化社会が進み、少子化は加速していく中、希望のない大人が増えてきてなんだか少しずつ社会がおかしくなっていると漠然とした不安をみんな抱いている。その中で、今回の話は本当に世の中を救いますね。

山下 今やらないと、やるときがないですよ。子どもたちのためにこの十年が基礎をつくる時期だと思っています。

中西 まったく同感です。今日は素晴らしいお話をありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2019年12月号掲載