2011年12月号
ディヴァインの奏でる楽器として
私を使ってください
NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)
親鸞の七不思議
皆さんは親鸞聖人が起こした数々の奇跡をご存じでしょうか?
私たちが知っている奇跡の数々と言えば、弘法大師や日蓮聖人の方が有名ですね。私自身はまったく知りませんでした。たとえ知っていたとしても信徒たちが作り上げた迷信の世界だとタカをくくっていたに違いありません。
今年は親鸞聖人没後750年忌にあたります。それにちなんで上越会場主催の「越後親鸞七不思議ツアー」が去る10月22日、23日にかけて行われました。参加者全員、その不思議の数々を目の当たりにしました。
私たちが回った七不思議とは、
- 国府の片葉の葦(あし)
- 田上の繋ぎ榧(がや)
- 小島の八房梅と珠数掛け桜
- 保田の三度栗
- 鳥屋野の逆さ竹
- 川越波切の名号
- 山田の焼鮒・円盤
の7つですが、どれも甲乙つけがたいほど不思議なものばかりでした。しかも親鸞の奇跡は植物に起きているものが多く、750年経ってもいまだに起き続けている、という特徴があります。いくつかご紹介しますね。
まず一番目の国府の片葉の葦。葦という植物は通常、左右対称に葉が出るのですが、ここの葦は海側の強風に向かって葉が出て、反対側には一枚も葉が出ていません。言い伝えによれば、親鸞が35歳の時、越後に流刑になった時、その上陸地点となった国府で居多神社に詣で、「わが念願を守りて、その奇跡をあらわし給え」と祈願したところ、境内に生えていた葦が一夜にして片葉になったそうです。
3の小島の八房の梅の話も不思議です。親鸞が一夜の宿をおとりになった際、その家の夫婦に本願の念仏を説き、夫婦がお膳に出した塩漬けの梅を、親鸞は手に取って「弥陀の本願を信じ、浄土往生疑いなくば、この漬けたる梅より芽が生じ、花一輪に八つの実を結んで末代まで繁り栄え、凡夫往生の証拠となるべし」とおっしゃって庭前に埋められるや、やがて枝葉は四方に広がり、花八重の紅の梅の花が咲き、一輪に八つの実を結ぶようになったと言われています。
7つ全部を説明したいのですが、誌面の都合上割愛させていただきます。しかし7つもまとまって不思議なものを見せられては、もはや思考の及ぶ範囲を超えています。しかも800年近くも経ってまだ続く奇跡を見せられるとは、思わず絶句してしまいます。
ディヴァインの導きなくして覚醒はない
親鸞という偉大な人物が存在したということを改めて確認させていただいたことはもちろんですが、背後に働くディヴァインの存在を感じます。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀如来様に全託する、という意味です。では「阿弥陀如来」とは何か?この疑問に「光透波(ことは)」の研究に造詣が深い菊池静流さんが答えてくださいました。「阿弥陀如来」とは網の田なんですね。如来とは行くが如く、来るが如く、まるで止まっているようにしか見えないスピードで動く存在ということだそうです。それはまた高次元の存在であるという意味にもなります。
さて、網の田とは、この宇宙の構造のすべて。つまりマトリックス、イコール神にすべてを委ねるという意味になります。つまり「南無阿弥陀仏」とは、「神にすべてを委ねます」という意味になります。
750年前にこの世を去った親鸞は、この念仏を唱えれば金持ちだろうと貧乏人だろうと、男だろうと女だろうと、善人だろうと悪人だろうと、すべての人は極楽浄土に行ける、と教えました。ですから庶民には大変人気になったであろうことは、想像に難くありません。今でも日本の仏教界では、浄土真宗がトップの信者数を誇っています。
バガヴァンが提唱するアウェイクニングとは、日本語では覚醒ということです。覚醒とは目覚めること、マインドの呪縛から解放された状態を言います。その状態になるための第一歩は、ディヴァインにすべてを委ねること。マインドの力では、私たちは苦しみから解放されることはありません。結局ディヴァインの導きがなければ、アウェイクニング(覚醒)は起きないのです。750年前に親鸞が提唱したことと、共通項がかなりあるように思います。
混乱の時代、親鸞は念仏布教に専念
2011年も暮れようとしています。いよいよ2012年がやってきます。太陽フレアの活動もより活発になってきました。世界各国で度々起きる地震や災害。世界経済もますます混乱が広がってきました。古い体制がどんどん崩れていくのを目撃しているようです。
親鸞の時代も度重なる内紛に端を発し、京の都は飢饉に苦しみ、餓死した死体で埋まったと言われている時代を過ごしました。親鸞は、このまま何もしないでもいいのだろうかと疑問に思い法然聖人の元へ行き、生き方を問うたところ、「念仏あるのみ」と法然は答えられたそうです。それで腹の決まった親鸞は生涯「南無阿弥陀仏」の布教につとめたと言われています。
私たちもまた正念をすえて事に当たる時が来たようです。コールマン博士によれば2011年10月28日が本当のマヤ暦の終焉であり、その意味するものは「時の終わり」だそうです。解釈をつけるなら、古い次元から新しい次元へのシフトが始まった、ということでしょうか。
どうやら私たちが待ちに待った平和で喜びに満ちた社会が歩き出したといっていいようです。来年はどんな年になるかわかりませんが、ディヴァインの道具としてその奏でる楽器として私を使っていただけるなら、こんな幸せなことはありません。
(合掌)