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2021年8月号
いろいろあった全国行脚の旅

NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)

いろいろあった全国行脚の旅

毎日、行脚が続いています。暑くても、寒くても、天気でも嵐でも止めたことはありません。気がついたら、29年目に入りました。

思い返せば、こんなことがありました。台風のため、我が家を出るとき大雨で、駅まで家内に送ってもらったのですが、水が出て駅に近づけません。仕方なく隣の駅まで行きましたが、やはり水が出ていました。意を決して、中に入ってジャブジャブ行くことにしました。

このときほど足の短さを痛感したことはありません。長い人なら、膝ぐらいの水ですが、私には腰まで浸かってしまいました。とほほ。そのまま、ずぶ濡れの状態で飛行機に乗って会場に行ったこともありました。懐かしい思い出です。

その頃はまだ小さかった子どもたちも、今や結婚して子育ての真っ最中だったりで、本当に感無量です。私の子どもたちも、もう40代と30代になっています。

でも、私の行脚は終わりません。たくさんの人を苦しみから解放したい、という思いが私を突き動かしています。仲間の幸せそうな笑顔に出会うのが嬉しくて、嬉しくて、思わず感涙してしまいます。

どちらの主張が正しいのか?

残念ながら、世界は平和どころか、ますます混沌としてきました。山の動物が危険を冒して郷に出てきたり、海では魚が激減したり……。樹木が枯れ始め、農作物まで採れなくなる状況です。徐々に世界的な食糧危機が忍び寄ってきています。

これは、人類のエゴが長期間にわたって、世界を破壊してきた結果なのです。

ある村で本当にあった話です。道路を拡張するために樹齢500年の木を切ることになったとき、村が二つに分かれて、ぶつかりあったのです。一つのグループは自分たちの交通手段確保のために仕方がないと言い、もう一つのグループは大自然の営みを壊してはならない、森の守り神が宿る木を切ってはならない、と主張したのです。守る派は、木の周りに座り込み、断固として譲りません。推進派は彼らを排除しようとして、村は大もめにもめました。

さて、どちらが正しいのでしょう?

結論から言えば、どちらも正しいのです。それぞれに言い分はあるのです。解決策は、何日、何カ月何年かかろうと話し合って、お互いの主張を認め合うということです。そうでなければ、その大樹だって悲しむでしょう。

私たちは、 悲しいことに結論を急ぎ、自分の主張に固執します。

探求の旅に終わりはない

大切なことは、いつだって、そこに愛があるかどうかということです。あなたは私、私はあなた、それが真理です。真理はいつも美しく光を放っています。

目の前の人は、宇宙知性そのものなのです。あなたがそれに気づくなら、相手を敬い、尊重するでしょう。そういう関係性の中にしか平和はやってきません。

あなたの中にも他の人の中にも宇宙知性は存在し、目に見える全てのものの中にも宇宙知性が存在しています。

極論を言えば、この世界にも見えない世界にも、宇宙知性以外の何ものも存在しない、ということなんです。

あなたは今、心から平和ですか? 愛で満ちていますか?

そうであったとしても、そうでなかったとしても、自分をよく見ることです。自分に対して嘘をつき続けることに気づいてください。そして、そんな自らの姿を発見したとしても、自分を責めないでくださいね。責める気持ちの中に平和などありません。責めれば、愛は見事に去っていきます。

あなたの真実を知ることは、やがて、覚醒へと繋がっていきます。私たちの旅は、今までも、今も、そしてこれからも、ずっと続いていきます。私もやがてこの世を去るでしょう。しかし、探求の旅に終わりはありません。あなたと常に一緒に歩んでいきますよ。十年後も、百年後も、千年後も。

(合掌)