2018年11月号
「仲間」との大切な時間
NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)
「仲間」との大切な時間
皆さんは、「人生で最も大切なものは何か?」と聞かれたらなんと答えますか? 私は「ともに歩む仲間」だと答えます。
もちろん両親、きょうだい、親戚のおじさん、おばさん、いとこなど、血縁関係はDNAの規定する仲間、一族といっていいでしょう。特に両親にはこの世界へ誘ってくださった大恩があります。兄弟には人間関係の基礎を体験的に学びました。
しかしそれさえ千差万別。生まれたときから両親がいなかった人もいらっしゃいます。あるいはなんらかの事情で、片親で育った方も大勢いらっしゃることでしょう。
私のことを例にすれば、両親は健在、きょうだいは姉が5人で、私は末っ子の長男として生まれました。今考えると、とても幸せな家に生まれたんだなあ、とつくづく思います。
それを取り囲む環境にも恵まれました。東京のはずれ、品川区で産声をあげました。戦後の焼け跡に、避難小屋のようなコの字型の集合住宅、というよりバラックが建てられ、十数軒が連なって生活していたんです。
コの字の真ん中に井戸があり、そこがコミュニティというより長屋の中心。幼心に覚えているのは、朝の始まりは長屋中の人たちが寝ぐらから出てきて、あっちでも「おはよう」こっちでも「おはよう」の声が響いていたことです。
どの家もお釜を持ってきて米を研ぎ、あちらでもこちらでも七輪を出して火を起こし、朝ごはんの支度が始まります。私の懐かしい原風景です。
長屋の思い出は本が何冊も書けるほどいっぱいありますが、またの機会にお話ししたいと思います。
小学校に上がる前の年に、我が家は新築の一戸建てに引っ越しました。親父は自慢気に「あの長屋から一番最初に脱出したんだ」とうれしそうに何度も家の中を眺めていたのを覚えています。
母も姉たちもうれしそうでした。
私だけはだだっ広い家の中で(もっとも縦長の六畳から、六畳四畳半の家になっただけなんですが)、寂しくてしかたありませんでした。
あの大勢いたおじさん、おばさん。そしてたくさん集まっていた仲間たちがいなくなってしまったこと。近所の猫や犬。誰もいない寂しさに耐えられず、泣きながら、「ここはうちじゃない。帰ろう」と訴えてみんなを困らせたのが、昨日のことのように思い出されます。
第7回いやしの村感謝祭
私のコミュニティの原点がここにあります。先日、第7回いやしの村感謝祭が東京で行われました。
今年は二日間にわたって開催され、一日目は講演会、二日目はたくさんのブースが出店してくださり、とても楽しい会になりました。
ご講演くださった三人の先生方、ブースを出店してくださった方々には感謝しかありません。
また遠くからご参加くださった方々のおかげで楽しい会になりました。ありがとうございました。
至らない点も多々あったと思います。どうぞお教え願います。今後の参考にしていきたいと思います。
私は幸せ者です。活動を支えてくれる家内、二人の息子。全国で支えてくださる仲間のおかげでやってくることができました。
感謝しても感謝しても、感謝しきれないほど感謝しています。
やはり人生で一番大切なものは、仲間だと、声を大にして言いたいと思います。
(合掌)