2017年7月号
人生に起きた
二度の死にたかった時

NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)

最近、首都圏で鉄道に乗ると、人身事故が発生したというアナウンスがよく流れます。先日も49分も車内に閉じ込められました。原因についてはアナウンスがありませんでしたから、確かなことはわかりませんが、おそらく自殺だったのでしょう。それを察知してるのか車内は静まり返っていました。それにしても日本人は静かですね。これが中国で起きたことなら大変な騒ぎになると思います。

ところで、人はなぜ自殺するのでしょう。黙っていても時が来れば死ぬのに。しかし、それを待てないほどの事情があるのでしょう。私自身の人生を振り返ってみると、二度死にたいと思ったことがあります。一度目は大学時代、学生運動が敗北に終わった時。二度目は40代半ば、サラリーマン人生が嫌になった時でした。いずれも生きがいの喪失感、孤独感、罪悪感に苦しみ、自分を追い込んだ結果でした。そこから立ち直れたのは大切な人の励ましの言葉でした。

一度目は、学生運動が終焉し、リーダーだった私は仲間の人生を狂わせてしまったという罪悪感に押し潰されそうになったのです。機動隊に追われて、5メートル以上ある高速道路の上から飛び降り、足を複雑骨折して障害が残ってしまった仲間や、精神を侵されてしまった仲間のことを思うと夜も眠れませんでした。結局、半年間部屋に閉じこもり、誰とも話をしませんでした。そんな時、一本の電話が。それは私たちの運動を支援してくださり、雑誌で取り上げくださった、いわば恩人からの電話だったのです。半年ぶりに家族以外の人の電話に出ました。

「中西君、たまには会いませんか?」「はい伺います」

あっさり即答している自分にビックリ。それから新宿の、通称ゴールデン街の安酒場で再会。横並びに壁を見ながら飲んでいた時、唐突にこう言われたのです。

「もしもですよ。世界中の人があなたの敵であなたを嫌っているとしても、私ひとり、あなたの味方なんだけど、それでは不足ですか?」

その瞬間、堰(せき)を切ったように涙があふれ出ました。私の生涯で最も涙が流れた時でした。

二度目は40代半ばにさしかかった頃のことです。勤めていた会社のトラブルに巻き込まれ、生きていることさえ嫌になり、死のうと思ったことがありました。その時は死に場所を探して一年間もさまよい、年老いた両親、妻、3人の子どもたちのいる家庭をも顧みないという、人としてあるまじき行為をしでかしたのです。約一年がたった頃、枕元に立った父を見て「親父、死んだな」と直感しました。

恥ずかしながら通夜の席に顔を出したときは、罪悪感で押し潰されそうでした。通夜の会場に着いた途端、義兄が襟元を掴んで私を殴ろうとしたときのことです。

「やめてください」と妻が間に入り、子どもたちが抱きついてきました。このとき発せられた妻の一言は、氷河のように凍てついた私の心を一瞬にして消し去るほどのものでした。

「よく帰ってくれました。ありがとう」と言って、葬祭場にもかかわらず黒の礼服さえ用意してくれていたのです。一年間も家庭を捨てて放浪していた夫に対する言葉として、これは優しすぎるものでした。どうなってもいいから親父に焼香して親不孝をお詫びし、それから改めてこの世を去ろうと思っていたのですから。

私の経験から言えるのは、人生を生きるには夢が必要だということです。それから共に生きる仲間、どんな時も共に生きていける仲間。それが家族なんですね。私のその後の人生の中でたくさんの仲間と出会いました。仲間は家族です。

「人類は家族です」シュリ・バガヴァン

私は幸せ者です。あれから25年、今ではたくさんの家族に囲まれています。ワンネスビレッジの建設という大きな夢の実現のために邁進しています。この人生の最大の収穫はディヴァインとの出会いです。マインドがどんなに騒いでも揺るがないようになってきました。恩寵と至福の人生に乾杯。7月22 、23日に行われる私の25周年イベントの会場で皆様とお会い出来ますことを楽しみにしています。

(合掌)

参考リンク:中西研二ヒーリング活動25周年記念イベント特設サイト