1999年に「余命半年」と宣告された杉浦氏。それから17年たったいまも再発せず元気に過ごしています。ガン患者やその家族たちに情報を発信する雑誌「メッセンジャー」をたった一人で発刊。
「ガンになる前よりも元気」と話される杉浦氏に、その力の源を聞かせていただきました。
歌とお話で全国展開
「ガンでも大丈夫」が当たり前の世の中を目指して
対談:杉浦貴之氏×中西研二
杉浦貴之(すぎうら・たかゆき)●1971年生まれ。愛知県の西尾市出身、岡崎市在住。
28歳の時に腎臓ガンを患い、「余命半年、2年以上の生存率0%」の宣告を受ける。絶望的な状況のなか、両親の思いを受けて「ガンを絶対に治す」と決意。“ガンはメッセージであり、自分らしい生き方を示してくれる道標”と捉えてガンになった原因と意味、本当の自分とは何かを追い求め、持ち前の逆境を楽しむ精神でその意味を掴み、乗り越えていく。闘病中、病床で描いた「ホノルルマラソンに出場し、ゴールに婚約者を待たせて、ゴールの瞬間に抱き合って喜び、次の日にハワイの教会で結婚式を挙げる」という夢を2008年に見事達成。
現在は、命の雑誌「メッセンジャー」編集長兼シンガーソングランナーとして、ガンになる前より元気にトーク&ライブ、講演、取材などで全国を駆け回っている。
その姿は「奇跡体験!アンビリバボー」など多数のメディアに取り上げられた。
中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来24年間で21万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は8名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。
長年のヒーリング活動が評価され、2015年に『東久邇宮記念賞』を、同年『東久邇宮文化褒賞』を受賞。
著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。
自分と向き合うことから始まった
中西 杉浦さんが11年前に雑誌を創刊され、ガン患者さんを元気づける活動をされるようになったきっかけは、ご自身がガン体験者になられたからですか?
杉浦 そうです。28歳のときにガンとわかりました。今から17年前になります。
中西 こうやってお会いするととてもお元気ですが、当時のガンのレベルはどれくらいだったのですか?
杉浦 腎臓ガンでした。進行が早く、悪性度が高いガンで、余命半年でした。
中西 それから17年経過したわけですね。すごいなぁ。症状が改善されるような原因が何かあったのですか?
杉浦 手術を受け、抗がん剤治療をしましたが、僕にとってすごく大きな転機になったのは、自分自身と向き合うというプロセスをしていったからだと思うのです。
中西 なるほど。病気の原因が心的なものだったのですね?
杉浦 あくまで僕の分析ですが、幼いころから自分自身を抑圧して生きてきました。人間関係も自分を抑えることで他人への恐怖を取り除く。そうやって問題にふたをした状態の処世術をしてきました。だから自己否定が強く、表面上は優等生でしたが、外に発散することなく内側に溜めていったのです。窓ガラスを割る代わりに、心の中を壊していたのです。
ガンというのは1センチ大きくなるのに10年かかるそうです。それを聞いたとき、自分のガンは28歳の1~2年前にできたのではなく、中学生くらいの頃から水面下で徐々に大きくなっていたのだと思いました。それがいよいよ社会人になって、その強いストレスが引き金になって発症したのではないかな…と。そうやって、自分の心と向き合って、一つひとつクリアにしていったのです。
中西 やはり、病気の原因は、多くの場合、根底に心の問題がありますからね。
そういう経験から、病気の人への働きかけをしていこうと思ったのですね。
杉浦 そうですね。ガンを発症して6年たってからです。それまで同じようにガンになった方に会いに行って話を聞き、いろいろアドバイスをもらうことが多かったのです。そうやって自分も助けられてきたので、今度は自分の経験や情報を提供するのが生きがいになってきました。それで、雑誌という手段で活動を始めたのです。
中西 そうですか。私も毎月会報誌を出していますが、皆さんとコミュニケーションを取るのに一番いい方法だと思います。
雑誌ではどういうことを伝えたいのですか?
杉浦 療法に関してはそれぞれに合ったものがありますから、もっと根底にある話になります。病気とかガンになったことをマイナスに捉えるのではなく、それがきっかけで生き直すことができるんだというメッセージを伝えたいです。
例えば、思い込みだったりネガティブな思考などが病気を治りにくくする要因になっていて、それが自然治癒力を阻害しているのではないか。そういうアドバイスをすることで気づいてもらえるのではないか…と。
それが、今、自分にできることで一番大事なことじゃないかと思っています。
病気が治ったあとの自分を想像する
中西 ガン患者さんとのツアーでホノルルマラソンに参加するというのがありますが?
杉浦 僕が病気になっていたころ、病気を治すことをメインに置くのではなく、治ったらどういう自分に変わるのかということをイメージするようにしていました。
病気を治すことばかりをイメージしているときは、すごく苦しかったのですが、発想を転換し、治った後の自分を想像するとワクワクしてきました。その治った後のイメージがホノルルマラソンだったのです。それがすごくよかったのです。
中西 具体的にハワイで走っている姿を想像したのですね。
杉浦 僕は能天気なので、まだ手術を受けたばかりの状態なのに、ホノルルマラソンのゴールに婚約者を待たせてプロポーズをするという夢を妄想していました(笑)。
中西 かっこいいなぁ! それで実現したのですか?
杉浦 9年後に同じ状況で夢がかないました(笑)。最初のホノルルマラソンは、手術をした6年後に仲間と一緒に出場することができ、そこに向かっていくことが僕にとっても大きかったと思います。どんな状況でも夢や希望を持つことでものすごいパワーが出て、治癒力が引き出されると感じました。それでみんなで一緒にやろうとツアーを企画したのです。いまでは、延べ350人ほどが参加しています。
中西 素晴らしいことですね。
「ガンは怖い」という情報の蔓延
中西 雑誌の中で、最近の傾向としてお気づきのことはありますか?
杉浦 ガンに対する恐怖がすごく増えてきている気がします。それは現代医療側も「ガンは怖いもの」と恐怖を発信していますし、代替医療側も「現代医療にかかったら危ない」と、両者の主張が恐怖を生み出している。
それが一番の問題のような気がするのです。
中西 なるほど。
杉浦 僕にとって現代医療がなければ、いまここにいませんでした。だから現代医療の偉大さもすごく感じています。それにプラスして、見えない力とか代替医療の力も僕の助けになったと思います。
もっとお互いが認め合い、寄り添い合い、支え合いながら、互いにいいところを出していけばいいのでは、と最近強く思うのです。
中西 現代医療も代替医療もお互いに混じり合って新しい色が生まれれば、それが患者さんにとって大きな力になりますよね。
杉浦 そう思います。この情報の溢れる社会で、特に「ガンは怖い」というイメージが強くなってきていると感じます。その恐怖に押しつぶされて希望が持てなくなってしまうことが問題なのです。
そうではなく、「大丈夫!」というイメージが増えてきて、ガンと宣告されてもすぐに希望が持てるような世の中になったらすごく変わると思います。自分の気持ちの持ち方一つだから。それがすごく大事なことなのです。
でも現実は、「ダメ」「無理」という否定の情報が多いのです。例えば「抗がん剤はダメ」というと、「ダメ」だけが潜在意識に残ってしまい、何をやっても効果がないという状態が生まれてしまいます。
恐れを植え付けるのではなく、「こうすれば元気になるよ」という言い方に変わる情報に変えていきたいのです。
中西 私のところにもたくさんの人が相談に来られるので、その中で抗がん剤治療の怖さなどを説明することがあります。それを希望のほうに向ければいいのだと、いま教えられました。
そのほうが患者さんにとってありがたいですしね。
今日はお忙しい中、ありがとうございました。
(合掌)