40年間、整形外科医として実績を積んできた小坂医師。現代医療に限界を感じていたときに気功に出会い、奇跡的な治療結果も出ている。
自分の命を削って治療にあたっているわけではないと言いつつ、「生きていることはよくなる、治る、ということです。それが生命の方向です」という氏の言葉に、多くの人が勇気づけられている。

気功治療で奇跡を起こす整形外科医
「治ると思えば治る人間は
意識がすべてですよ」

対談:小坂 正氏×中西研二

小坂 正(こさか・ただし)●治療に気功をとり入れた整形外科医。小坂整形外科院長。1948年北海道札幌市生まれ。道立釧路江南高校より弘前大学医学部卒業。74年自治医科大学、76年国立国際医療研修センター研修医としてスタートし、関東一円の病院にて臨床経験を積む。85年東京・池袋にて開業。手術を得意とする勤務医時代から一転して“入院・手術前に治す”を目標とする。いわゆる名医、名人、ヒーラーなどの治療法をこの間に模索。2004年ガン宣告を受ける。2005年気功を学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネスメディテーター。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来20年間で20万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は7名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

整形外科医として医療の現実と向き合う

中西 先生は正真正銘の整形外科医でいらっしゃるのに、気功で治ると評判になっていますね。気功と出会うまでは普通の整形外科医だったのでしょう?

小坂 整形外科は手で触って目で見る、まさにリアルな世界ですよ。それに検査とクスリがメインではなくて、僕の性格に合った分野だったのです。

研修医として勤務していた病院から地方の病院へ派遣されていたのですが、地方の病院は常勤の専門医がいないので、一週間分の診察、手術、入院待ちの患者さんでたまっていた。だからその時期の僕の手術ケースの数は多いです。

中西 パート医として派遣され、いろいろな症例を診てこられたのですね。

ケビンにヒーリング実践中

ケビンにヒーリング実践中

小坂 そうです。多くの症例に出会えて勉強になりました。

例えば、工事現場でショベルカーが落ちてきて下敷きになり、その歯が肛門にささった患者さんが救急車で運ばれてきました。大腿(ふともも)の骨は粉々に砕け、筋肉はずたずた、皮フは裂けて血管と神経だけでつながっていた。青年医師として脚を残そうとダメ元でがんばって手術をしたら、不思議なことに元どおりに治って歩いて退院されていった。これには僕もほんとうに驚いてしまった。その患者さんは、外科が命を助け、肛門筋も復活させたのです。人間のサバイバル能力はすごいと思いましたよ。動物の中ではダントツにすごい。サラブレッドなんかは骨折するとすぐ薬殺ですからね。

まだまだ驚くような症例はたくさんありますが、僕は実際に患者さんの心と体に直接向き合い数多くの手術をして、現実的に結果を出すことができた。それに加えて、治せる気功はうれしかったです。

現代医療の限界に挑む

中西 難しい手術を数多くこなし、患者さんからも信頼されていたのに、どうして代替医療に目を向けられたのですか?

小坂 確かに多くの手術をしてきて、自分では良医と思っていましたよ。でも、それは現代医療の中のことでしかなかった。現代医療には明確に限界があることに気づいたのです。医者をやっている以上、その限界を超えて患者さんや家族の期待に応えたいと思うものですよ。

中西 「限界を超えて」、と言いますと?

小坂 最近、鍼灸、マッサージ、整体など代替医療が盛んでしょう。それは整形外科医が治せないからですよ。例えば、仕事や日常生活でパソコンを使う人が増えたでしょう。慢性的に肩や首、背中が張って痛みが取れない人が多い。また高齢化社会で、医師から「老化だから」と言われてそこで諦めてしまう人も多い。老化現象は長年の疲れが蓄積されたからで、たまっていない人はいくつになっても若々しい。現代の医療は凝りの痛みや老化現象を病気と見なさない。それから難病、不治の病などというものも見放されている。そこに限界があるのです。こういう患者さんを楽にさせてあげる治療方法はないのだろうかと思ったのです。

もともと名人名医の世界にワクワクしていましたから、自分でも少しでも治したいと思っていたわけです。

初めは鍼灸に興味を持ちました。しかし、昔の名人のように本当に気を感知して治す鍼灸師がいるという話を聞かない。気を感知するにはどうしたらよいか捜して、スピリチュアル気功(現在は佐藤メソッド)の佐藤眞士先生に出会ったのです。広大な可能性を感じました。

奇跡を前に、西洋医に戻れなくなる

小坂先生の著作 『身体の痛みを取るには気功がいい!』 風雲舎刊

小坂先生の著作
『身体の痛みを取るには気功がいい!』
風雲舎刊

中西 気功は治療に効果があったのですか?

小坂 クリニックで半年間、人の体に触って気功治療の勉強をしましたが、まったく何も起こらなかった。それで気功は実用性がないのかなと思った矢先に、とんでもない事件が起きました。大学付属病院神経内科の集中治療室に入院されていて、脊髄痲痺(まひ)により回復の見込みなしと診断されていた40代の男性がいました。

奥さんが私の気功治療を受けさせたいと下半身麻痺の彼を車いすに乗せて治療室から連れ出してきたのです。白昼、彼が力なく車いすから路上にズリ落ちる様子を見て、真っ暗になった。このまま帰ってと言いたい気持ちでした(笑)。とりあえずお腹に手を当てて「温かい」と佐藤先生に教えられたとおりに何度か唱えていた。心の中で「こんなこと、いつまでやるんだろう」と思っていましたよ。そのとき、奥さんが「もう病院に帰らなければ」と言ってくれたのでホッとしたら、それまでベッドに寝たきりの人が、まず起き上がって自分でベッドに座り、次にベッドの隣にあった衝立(ついたて)のスチール製の棒につかまってひょいと立ったのです。

僕も当の本人も現実感ゼロ。ただ呆然として立っていると、その光景を見た奥さんが「ぎゃー!」と悲鳴を上げた。付き添いの男の人も目を丸くして驚いていましたよ。奇跡が起きたと思いました。その瞬間があったからこそ、僕の今の気功治療があるというわけです。

中西 患者さんは退院して、先生の治療を受けたのですか?

小坂 そうです。結局、立つこともできない状態から1カ月半くらいで自転車やバイクに乗り、車を運転できるようになり、中華料理の料理人に復帰しました。

退院のときは病院側も本気で心配して、僕のことをインチキ医者じゃないかと思ったらしくて、「病名は『脊髄梗塞による脊髄痲痺』で治療法はない」と忠告するのです。これが現代医療の限界なんですよ。

今もこの患者さんの病名は病院の診断で正しいと思っています。僕は整形外科医としての医療行為をしたわけでもなく、ただ気功をしただけで、僕にとっては死人が生き返ったようなことが起きました。これで僕はもう普通の医者に戻れなくなってしまったんですよ。

中西 そうすると、先生の所にはお医者さんに見放されてしまったような患者さんがたくさん来るのですか?

小坂 たくさん来るけど儲からない(笑)。僕は名人のように手加減を加えて治療できないから、1回で治ってしまうことが多い。さらに整形外科の場合、高齢の患者さんが多くて、腰痛で来て治ったら、つぎに肩が痛い、足が痛いと来院することが多い。僕の気功治療だと全身を健康にしてあげるので痛くなることがなくなる。だから来院しなくなり、外来患者数が少なくて儲からないというわけです。本当にジレンマになるくらい気功はよく効くんですよ。

患者さんの立場や国の医療費増大のことを考えれば、気功にも国民健康保険制度を使って、できるだけ早く一人ひとりが元気になったほうが有益なのですがね。

小さな第一歩で、病気から脱出

「このままではお気の毒ですね」 「これでは仕事に行けなくて困るね」 「痛いのはいやだね。早く治したいね」 ―という患者さんへの思いがあります。(小坂)

「このままではお気の毒ですね」
「これでは仕事に行けなくて困るね」
「痛いのはいやだね。早く治したいね」
―という患者さんへの思いがあります。(小坂)

中西 気功治療とは、具体的に何をするのですか?

小坂 今の病院は、病人を治せません。なぜなら「絶対治らない」「一生歩けない」「一年後に死にますよ」などと先生が断言しているのですから。こんなこと言われたら誰でも心が折れますよ。心が折れたら治るものも治らない。それで僕は「何とか治りますよ」と言うわけです。そこから治療が始まります。気功で動かなかった足がちょっとでも動けば「あっ! 動いた」、もうちょっと動けば「あっ! もっと動いた」となるわけです。そのちょっとした喜びや感動にしがみついていれば、病気から脱出できるんです。小さな現実があり、小さな希望があり、小さな夢があり、小さな第一歩があれば、そのことで病気から脱出できるのです。

そういう小さな事実を積み重ねていけば、それがうれしくてその改善に集中するからどんどん治っていく。少しずつ本人をその気にさせるのです。つまり、患者さん本人が自分で治すのです。自然治癒力があるから、僕はそれを引き出してやればいいのです。

治せない医者ほど「治りません」と言います。それは治したことがないからですよ。

中西 以前、ガン専門の先生が「治したくて医者になったのに、ガンは治らないのが現実です」と嘆いていました。

小坂 その先生は信念として「ガンは治らない」と思っているからですよ。僕みたいに治ると思えば治ります。人間は意識(想い、認識)がすべてですよ。意識はうつる(伝染)んです。

僕は、自分の治療家としての位置づけを、初めて空を飛んだライト兄弟だと思っているのです。彼らはボーイングやロッキードのような大きな飛行機会社を作ったわけではなく、たった200メートル飛んで、「人間だって飛べるんだよ」と示して、人類に夢と希望を与えてくれた。僕は「大丈夫、大丈夫! きっと治るからね」と言ってあげるだけですが、現代医療から見放された人々が少しでも希望をつないでくれればいいなと思っています。

中西 これからの時代は、先生のやっていらっしゃるような医療が本当に必要とされるのですね。ますますのご活躍を期待しています。たくさんのお話、ありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2014年12月号掲載