2014年1月号
明けまして
おめでとうございます。
全人類が覚醒の年を迎えました
NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)
自分の人生ドラマは、自分の人間関係の中にある
明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。心から感謝しております。ありがとうございました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
人との出会いはとても不思議ですね。それまでは何の縁もなかった人が、突然のように出会ったあと、人生の伴侶となったり、親しく付き合っていた人が、あることがきっかけになってあなたの人生からこつ然と消えてしまったり。なぜ出会うのか、なぜ別れるのか、その本当の理由は誰にもわかりません。
人は人生のドラマを人間関係の中で味わいます。奇跡的な出会いに感動したり、泣いたり、怒ったり、笑ったり。
子どもの頃、なぜこんなにも貧乏な家に生まれたのか、なぜこんな体型なのか、なぜアメリカ人ではなく日本人として生まれたのか。とてもたくさんの疑問を持ったことがあります。
わが家は、焦土となった東京の片隅に、生き残った人たちの寄り場として建てられたコの字長屋の一部屋でした。入り口は一間(約180センチ)。横にした畳を縦に6枚並べた、いわゆる鰻の寝床のような家でした。それでも私にとっては生まれた家でもあるので、両親と姉弟あわせて6人で住まう『宮殿』で、何の不満もありませんでした。時折夜中にやってくるネズミと寝相の悪い姉の足が、私の領域を侵犯してくるほかは。
5歳くらいになったある日のことです。わが家からすぐ近くの高台に大きなお屋敷があって、そこからきちんとした身なりの同世代の子どもが階段を降りてくるのに遭遇しました。足には、ゴム底のズック靴ではなく革靴を履いていました。しかも、階段を降りきった道路には、この辺では滅多に見かけない黒塗りの高級車が待っていました。制服に身を包んだ運転手がドアを開けその子を乗せた車は、走り去っていきました。
この情景は、それから60年間、私の記憶の一角を支配し続けました。
「どうして、あの子と僕は違うのだろう?」
私の人生の中核を「平等」という概念がいつも支配し続けているのは、5歳のときの体験が影響しているからなのでしょう。それから人生の中で「平等」でないことをされたり、人々が平等に扱われていないのを見ると「怒り」を覚え、徹底的に闘ったことが何度もありました。
高校時代に、生徒会活動や、赤十字活動に熱心に取り組んだのも、あの日の思い出が脳裏に焼き付いていたからだと思います。
この思いはついに、その頃の人生のすべてになる日がやってきました。それが学園闘争と呼ばれる学生運動でした。もちろん、敗北。命がけの挫折を体験した人なら分かると思いますが、すべてが空虚になって、生きる意味さえ見失ってしまいました。
自宅の自室に閉じこもって、半年間、誰の電話にも出ず、外出もしませんでした。今でいう「うつ病」だったのかもしれません。その状態から脱出できたのは、一本の電話でした。階下から母の声で
「研二、電話だよ。梅原先生からだけど、出ないでおく?」
梅原先生とは梅原正紀先生のことで、当時、一世を風靡した評論家で、専門の宗教、政治、社会問題などを文藝春秋などの月刊雑誌や週刊誌に寄稿されていました。
私との出会いは、学園闘争のリーダーとなったときに取材に来られたからで、自宅にも招待してくださいました。「僕の後継者」とまで言ってくださった方です。
「すぐ下に行くから、待っててもらって」と母に大声で応え、半年ぶりに電話に出ました。
「よかったら、出てきませんか。たまには一杯やりましょう」
「わかりました」
あれだけ外に出るのが嫌だったのに、なぜ梅原先生には会いたいのか分からないまま、待ち合わせの新宿に急ぎました。見慣れたはずの東京の景色が妙に新鮮で、ネオンの光がまぶしく飛び込んできました。
当時の新宿を象徴するようなゴチャゴチャした飲み屋街「新宿ゴールデン街」の二階に上がってチューハイをごちそうになりました。
すべては無言でした。やがて、久しぶりの酒が体に回ってほどよく緊張感をやわらげてくれた頃、カウンターで横並びに座って飲んでいた先生がポツリと、
「世界中のすべての人が敵で、君を許さないと攻撃したとしてさ、ボクひとり、君の味方なんだけど、それじゃあ不足ですか?」
それまでの半年間、ともに闘って傷ついた仲間たちに対する罪悪感、迷惑をかけた両親と社会に対しての申し訳なさで体が固まり、感情さえ動かなくなっていたとき、この言葉がどれだけ、体中に衝撃を与えたか、体の中心部を雷のような電流が走り、突如、ダムが決壊したようにうめき声から、ついには大声で号泣してしまいました。
人生は決められたストーリーに基づいてやってくる
長々と昔話に付き合っていただきましたが、あなたの人生にも忘れがたい出会いとエピソードがいくつもおありでしょう。マインド劇場は味わい深いものです。
シュリ・バガヴァンの教えによれば、すべては自動的に起きているそうです。つまり、どんな許しがたい出来事も、嬉しい、悲しい、つらい出来事も、すべて、決められたストーリーに基づいて、自動的に起きてくる、というのです。ではそのシナリオは誰が作るのでしょう。これまで存在し、いまも存在している全人類のカルマによって書かれているようです。私たちは、ヴァサナと呼ばれる、人類の体験した香りの中から10種類を身に付けて生まれてくることで、たくさんのカルマを背負います。その瞬間、今世における出来事が決まってしまっているということです。そう考えると、マインド側はなんだか色あせてしまう感覚を覚えるでしょう。もちろんマインド劇場が楽しければ、その中にいて構わないのですが、私たちはみんな苦しみの中にいることを認めず、誤魔化して生きてきました。今年は全人類が集団で覚醒するときを迎えているような気がします。私もそのために全力で取り組んでいきます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
(合掌)