2006年8月号
悟りを得ると、その一瞬の中で
完全な人生を生きられる

NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)

マインドに呪縛されるのか、聖なる存在に委ねて生きるのか

初めてディクシャを受けてから丸2年が経過しました。最近感じていることですが、以前にも増して(口はばったい言い方ですが)どなたのことも他人に思えず、愛おしさが増してきました。そして自分の内側と他の人の内側には、まったく同じものがあることが見えてきたのです。しかも、そうなるためには何の努力もしていません。

以前私は「自分を愛し、自分を信じる」ことを提唱してきました。そうすることで自分以外の他人を愛し、信じることにつながると思ってきたからです。これに対し、多くの人は賛同してくださいましたが、何人かの人は「自分を愛せないから苦しんでいるのに、それでは答えにならない」と訴えられました。それに対して、私はワークショップへの参加を促し、幼児期のトラウマや日常の中のストレスを解消することで解決策を見い出してきたのです。

しかし、今から思うと、それは根本からの解決にはならず、また新たな問題が発生して、苦しみの中に自分を置いてしまう人がいたようです。ワークショップに参加した直後はとても楽しくて、自分が変われたように思うのですが、またしばらくすると元の木阿弥に戻ってしまうという繰り返しになっていました。もっと効果的なやり方はないか、二度と元に戻らない方法は? そのお陰でワークショップを開催するたびに、そのやり方を変えて工夫をさせてもらいましたから、本人にとってはとても充実した作業でしたが、大金を払って受講してくださる方々にはどうだったのか、という思いがいつもありました。

しかし、ディクシャと出会ってからは、それがかなり減少しました。もちろん個人差はあるし、体験も異なるのですが、確実に「幸福感」の増している人が増えているように思います。

幸福感とは「恋人ができたから」「宝くじに当たったから」「希望の会社に入社したから」「昇進したから」といった刹那的なものではなく、別に何も変わっていないのに何だか幸せなのです。そう思える瞬間が増えてきたのです。ディクシャを受けた人からそういう話を聞くことが多くなりました。そんな時、わが事のようにうれしくなります。

逆にインドに行った21日間を過ごした上、ギヴァーになったのに何も変わっていないという話も聞きます。私もそういう話を聞くと、ディクシャの効果のない人もいるのかなあ、と思ったりもしましたが、このごろは、その人に必要なプロセスを体験しているだけという思いに至りました。

人は、それぞれのテーマを持って転生してきています。しかし、それがどういうもので、どういう人生になるかは明らかではありません。そのためにそれを知ろうと、運命鑑定から星占い、果ては前世まで知ろうと躍起になりますが、結局、すべてが分かることはありません。バガヴァンは、私たちにできることは二つしかないと言います。それは、

「マインドに呪縛されて生きるか、聖なる存在に委ねて生きるか」

そのどちらかだと言うのです。マインドに呪縛されているかぎり翻弄されっぱなしの人生になります。それは毎日私たちが体験している人生です。「人生成功の秘訣は」「積極的思考で生きよう」等々、いっぱい著作が出ていて、それらが飛ぶように売れているのは「人生は常に向上心を持ち、夢に向かって精進努力して邁進すれば、必ず幸福になれる」という幸福信仰に翻弄されているからです。人類はおそらく、気の遠くなるような昔から、このことを繰り返してきました。もちろん、これを否定したり愚弄することなど私にはできません。むしろ、その熱心な信者だったからです。

「物事はあなたの考えているようなものではありません」

ディクシャがもたらすものは、その思考からの解放です。バガヴァンはこう言っています。

「悟りを得ると『どのように』という疑問は消え去ります。『どのように』『なぜ』はなくなります。その瞬間瞬間にのみ生きるようになります。一瞬一瞬がその場で完結してしまいます。ですから、そういった疑問は消え去ります。人生に目的などありません。正しい道も誤った道もありません。その一瞬の中で完全な人生を生きるようになります。私たちは何ら意見や見解を持たない人生を生きるようになります。ただ生きるだけです。何か非常においしいものを食べるとき、それについていろいろ質問したりしません。ただ食べるだけです。同じようにただ人生を生きます」

分かろうとして分かる話ではありませんが、ディクシャは体験がやってきます。体験することでマインドのあらゆる解説を超えていくのです。そうすれば理由のない愛、理由のない喜びを体験し、何を見ても何をしても至福の時を体験し続けることになるのでしょう。

プレゼンスの働き?8月以降の行動予定

ところで8月以降の私のスケジュールを見てみると、これはプレゼンス(聖なる存在)が働いているとしか思えません。16日に長崎に行き爆心地でディクシャ、26日から沖縄でディクシャ、その後は9月9日から札幌と日本列島の南から北へ行きます。それから10月12日から壱岐島に行くことになりました。

壱岐島は邪馬台国発祥の地であることが言われている所で、超古代の遺跡が驚くほど出土しています。つまり日本の始まりの地に立つことになります。

そして11月30日には出雲大社の神迎之祭に参加します。これは、いよいよ日本全体の悟りのプロセスを進めるために八百万の神にお願いしようと出かけていくものです。よかったら、皆さんもどこかにご一緒しませんか? 楽しい?イベントになることは間違いありません。

(合掌)