9月3日に、会員の皆様と一緒に不二阿祖山太神宮に参拝しました。それに先駆けて、渡邉大宮司にこの富士山という場所が持つ特殊性についてお話を伺っています。富士山がある地に住む私たち日本人ができることは何か?そのヒントを教えていただきました。

富士山は地球のふるさと

渡邉聖主氏&中西研二

渡邉聖主(わたなべ・せいす)/渡邉政男(わたなべ・まさお)
●宗教法人 不二阿祖山太神宮の代表役員であり、神祀りの最高責任者(斎主)。 幻の古代富士王朝、その中心にあった不二阿祖山太神宮の再建に向けて、 平成12年、再建準備室を立ち上げ、全国奉仕会の皆様と共に再建事業を 開始する。
平成26年6月22 日には、サンマリノ共和国にて欧州初の神社建立式典 に参列し、その後執り行われた結婚式の祭主を務めた。 この年よりスタートした「みんなの FUJISAN 地球フェスタWA」では、 実行委員会の実行委員長を務め、子どもたちに古きよき日本の伝統文化を伝えるプログラムとして、親子稲作体験に力を入れ、全国各地でお田植え祭・収穫祭を行っている。各国駐日大使も大勢参列され、神道の奥深さに惹かれた大使・大使館関係者からの「本国でもお田植え祭を。神社を」と 求める声が後をたたない。 太神宮の再建と共に、日本人の伝統的生き方である「自然と共に生きる精神」を伝えるべく、農業や教育をはじめ、多方面にわたり取り組んでいる。

中西研二(なかにし・けんじ)●NPO法人JOYヒーリングの会理事長。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴後、1993年にヒーリング活動を開始。「呼ばれたら全国どこへでも行く」をモットーに行脚を続け、日本全国の各会場で数々の奇跡を起こしています。そして、直接または遠隔によるヒーリングやセミナーを受けた方から多数の感謝の声をいただき、27年間で22万人を超える人々を癒し続けてきました。
ハワイのホ・オポノポノで有名なヒューレン博士が来日された際には、博士のほうから直接会いたいと言われた唯一の日本人が、中西研二だったそうです。2004年からは、ワンネスユニバーシティのコースに招かれ、さらにO&Oアカデミーのコースにも招待されました。その折に伝授された“奇跡の目”で見つめるだけで「奇跡の水」ができ、意図を込めることで「奇跡の塩」ができ、そこからもたくさんの奇跡が起きています。現在は、日本式ヒーリング「愛和道®」の完成を目指して、昼夜を問わず活動しています。
著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなぁに?』『あなたは、わたし。わたしは、あなた。』(いずれもVOICE刊)対談集『なんにも、ない。』『たちどまって自分を癒す』(ともにヒカルランド刊)があります。

神武天皇以前にあった富士王朝とは

中西 富士山の周りを手を繋いでグルっと囲むという平和祈願のイベントを最初されたときは、すごいなぁと驚きましたが、今年はどうですか?

渡邉 ええ、今年も世界の先住民のリーダーの方々をお呼びして世界平和の祈りをしたり、「富士山一周愛のメッセージリレー」などを開催する予定でしたが、コロナ感染などにより延期や縮小で、今年は予定通りできません。でも来年以降も継続していく予定です。

中西 今年はそうですね。

私が今回伺いたいことの一つは、なぜそこまで富士山を大事に思われているのか……。それを教えてください。

渡邉 最初、私は宮下文書により富士王朝の存在を知り、不二阿祖山太神宮の再建が重要であると思ったわけです。そして最新の考古学や科学などで、それらの古文書を裏付ける研究結果が続々と出てきました。

中西 なるほど。詳しく教えてください。

渡邉 今の考古学では、縄文の中心地は山梨だったと言われています。これは縄文時代の人口分布図なのですが(資料を見せて)、これを見ると山梨県に人口が集中しているのです。

縄文時代の人口分布図

その理由は、富士山の存在です。高天原だと言われている場所が全国各地にありますが、神社の御神体というのは古来より山そのものなのですね。そうなると、日本一高い富士山のもとに、政治の中心である高天原があった。そこに神武天皇以前の富士王朝があったとするのが一番しっくりくるのです。

もう一つの理由は、佐賀県で発掘された、3千年前頃、縄文時代の菜畑遺跡に水田の跡が見つかったということです。今までの歴史では弥生時代に渡来系弥生人が入ってきて、稲作を伝えたとありますが、それよりもずっと前から稲作をやっていたことになります。というと、当然人口が密集していた8千年〜1万年前、富士山周辺でも稲作を中心とした政治をする集団がいたということになります。このことを宮下文書では富士王朝と呼んでいます。ここから世界に伝わったのだと思います。

歴史的には世界を開いたのはシュメール人ということになっていますね。シュメールの「シュ」は元々「ス」と言い、スメール人と呼んでいました。これは天皇一族を表す「スメラミコト」に繋がっていきますね。つまり、本来は、スメラミコトという統治者の一族が7千年前、極東からやってきてメソポタミアに稲作を持ち込んだというわけです。ですからこの地域は主食が米ですね。そしてこの統治者の一族が世界に土木から建築技術、天文学、思想などを広めていったのです。考古学の発見により、世界史が一気に変わります。

宮下文書では、中国の幻の皇帝に関する記述もあって、易の元を作った伏羲(ふつぎ)という皇帝や、漢方の基礎を築いた炎帝神農(えんていしんのう)という皇帝も日本の高天原から中国に行ったと書いてあります。シュメール人と同じように、統治者の一族、日本の皇子なのです。宮下文書には、炎帝神農氏の長男、次男、三男、四男、五男、六男、七男と中国の大平原からアジアに散らばり、各々国を作っていったとあります。

ですから、日本は本家になります。弥生時代は渡来人が築いたと言われていますが、実はみんな秦の始皇帝に追われて中国から逃げてきた人たちなんですね。その人たちに手を差し伸べ、受け入れ、助けていく中で向こうの文化を取り入れていき、日本の弥生時代は誕生したのです。つまり、今までいた日本人が滅ぼされ、大陸系の渡来人たちによる国ができたという歴史ではないのです。

こういう宮下文書などの古文書を参考にしながら、科学的見地からはどうなんだというと、遺伝子の研究からも、世界の国々の男性が持つY遺伝子はほとんど二種類ですが、日本人男性は26種類のうちの24種類を持っています。 絶滅した遺伝子以外すべて存在することは、人類が日本に住んでいた証拠にります。さらに、気象学的には、7万年前から1万年前の間は氷河期です。世界で文明や文化が発達する環境ではありませんでしたが、その中で日本は火山国で、食べ物が豊かであった土地だということが1万年以上前の酸素量や花粉量の発掘調査でわかっています。人類は 6 万年の間、天国のような日本に住んでいたので、皆、兄弟になっていったのです。

そういうところからも、古文書を参考にして、科学的な裏付けをとりながら日本が世界文化の発祥の地だという真実に辿り着いたわけです。

ムー大陸からヤマトへ

中西 なるほど。どんどん日本、特に富士山周辺が発祥の地であることを裏付ける科学的データが出てきたわけですね。では、日本という国のルーツについてどうお考えですか?

渡邉 氷河期を経て、1万年前の前後から地球は暖かくなってきているのですね。1万3千年前にムー大陸が陥没したと言われていますが、それは氷河が溶けて海水の水位が上がってきたことが原因だと思うのです。それがきっかけで、高い山がある土地に人々が集まってきたのだと思います。そして高い山、富士山に留まったのでヤマト(山止)人となり、そこの都をヤマト(山都)にしたのだと。ですから、ムーから受け継いだ叡智をもって、メソポタミアなど世界に広げていったのではないでしょうか。

こういうふうに、自分で調べたことを皆さんにお伝えし、広める活動をもう40年以上していますが、なぜこういうことをするのかと言いますと、皆さんがそのことを知り、ここを正しい土地の在り方に戻すことで、世界が戻ることになるのです。人類は兄弟なのです。争うことは無意味なのです。みんな元の家族に戻りましょうということを、不二阿祖山太神宮を守りながら世界に発信していくのが使命だと思いやっています。

中西 日本が世界の文化の原点だと話す方が最近、本当に増えましたね。大宮司は、それを40年以上続けてこられたのですから本当にすごいことです。

この不二阿祖山太神宮も四度再建されているのですよね。そうやって歴史に埋もれず残るというのがすごいことです。

zoomによる対談が実現!
久しぶりの再会がオンラインでしたが、
このあと、神社参拝で実際にお会いできました

戦わない・争わない・共に生きる 神農法

中西 大宮司は、神農法という神様の光を入れる農法をされていますよね。今年はどうでしたか?

渡邉 神農法はどんな農法にもプラスしてできるのです。「戦わない」「争わない」「共に生きる」という精神そのものなのですね。光をいただくことで、自然と争わない。人と人が争わない。そこに神様が入る。土地の供養にもなるのです。

今年はコロナで集まることができなかったので、ライブ配信で行いました。それでも全国15カ所で行われました。

中西 ライブ配信でも同じようにできるのですか?

渡邉 そうです。ライブ配信した御神田、すごいですよ。例えば、今年は全国的にジャンボタニシが大繁殖して稲が大打撃を受けました。それは大変だということで、タニシに「稲は食べないでね」という話をしました。そうしたら、後日ご報告がありまして、ほかは被害を受けているのにその御神田はまったく被害にあっていないそうです。どうしてかというと、ジャンボタニシが稲を食べないで雑草を食べているそうなのです。

元々、ジャンボタニシは除草の目的で輸入したそうです。ところが除草剤を撒くので、雑草を食べずに稲を食べるようになったというのが経緯だそうです。だから本来の役割に戻っただけなのです。除草剤をしないで本来のカタチに戻れば、タニシの役割も元に戻るのです。

中西 まさに「戦わない」「争わない」「共に生きる」ですね。

今日はお忙しいところ、ありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2020年12月号掲載