たった一人で立ち上げた生活支援協会は、東日本大震災の支援活動から始まり、いまではその経験を生かしドローン操縦士の育成を全国展開されている。躊躇なく新しいことに取り組むことのできる丹野氏のその姿勢は、幼い頃からの経験を通して得たものでした。

原動力は、
「ゼロから有を生み出す」
自分の経験と直感

対談:丹野康之氏×中西研二

丹野康之(たんの・やすゆき)●一般社団法人東日本大震災生活支援協会【LSA】代表理事。2011年3月に発生した東日本大震災の被災地支援活動をきっかけに、同協会を立ち上げる。その後2014年8月の広島土砂災害や、2016年4月の熊本地震においても、行政などの手の届かない場所での支援活動などを行い、現在は、被災者支援の経験を生かし、ドローンによる災害時対応や人命救助・行方不明者捜索への応用を視野に入れ、技術の高いドローン操縦士の育成に取り組んでいる。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来25年間で22万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は8名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。長年のヒーリング活動が評価され、2015年に『東久邇宮記念賞』を、同年『東久邇宮文化褒賞』を受賞。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

東日本大震災がきっかけ

中西 丹野さんは、東日本大震災の中、被災者生活支援の活動を始められたんですよね。

丹野 南三陸町、陸前高田、気仙沼あたりで、事務所を作って活動していました。

私自身は喘息(ぜんそく)もあり、力仕事ができないので、中間支援という立場から活動していました。中間支援というのは、現地でボランティアさんが働きやすいように、人の手配や仕事の割り振りなどを調整する立場のことです。

中西 そうですか。私もあの辺りには毎月行っていましたから、東北自動車道が開通して初めて現地についた時は、町の変わりように唖然としました。山の上に船が乗り上げているのですから……。陸前高田の町は25年通っていますが、変わり果てた町を見たときは悲しかったですね。よく行かれましたね。あそこでずっと支援するのは大変だったと思いますよ。

丹野 大変なこともたくさんありました。やり続けるのは本当に大変ですが、それでも絶対にやるという気持ちでやっています。その後は広島の土砂災害や熊本地震で同じように活動しています。

ゼロから生み出す能力は誰よりもある

中西 じゃあ、いまでも支援活動は続けているのですね。

そのような大きなエネルギーを必要とする活動ですが、「できる」と思って続けられる原動力はどこからくるのでしょう?

丹野 子どもの頃にまで話はさかのぼりますが、私は喘息などを持つ虚弱体質だったので、小学校もほとんど通っていません。両親がいわゆるネグレクトで放置状態でした。そこで緊急避難的な措置で、病院に入院することになり、中学はそこから養護学校に通っていました。ひらがなもろくに読めませんでした。

そんな状態で養護学校を卒業し社会に放り出されたのですが、親はいないので帰るところもない。字も読めない、九九もわからない、お金もない。それでまともに生きていけるわけもなく、ずっとホームレスみたいな生活をしていました。そこから弱いほうに逃げてしまって、詐欺事件で懲役2年10カ月の刑を受けました。

刑務所にいる最初の1年は死ぬことばかり考えていました。だけど、死ぬのは無理だなと思ってから、本を借りて読む勉強を始めたのです。そうやって勉強していくうちに、「自分のような境遇の人間を雇ってくれる人はいないだろうな」と悟り、自分で会社を興そうと決めたのです。

出所してから、狭いアパートでパソコンの修理屋を始めました。「領収書って何ですか?」とお客さんに聞く状態で、すべて一からでした。怒られながら、学び、その積み重ねでだんだん会社になってきたのです。

そんな「ゼロ」から「有」を生む人生をずっとやってきたのです。その中で苦しみとか悲しみ、トラウマなどを少しずつ癒してきて今があるのです。だから被災地に入って、驚くほど破壊された現地を見ても、自分ならできるという自信のようなものがありました。「自分にはゼロから生み出す能力が誰よりもある」という気持ちでいままでやってきましたから。

中西 そうですか。経験をすべて肯定すると、力になるのですよね。

丹野 自分がつらいと思うことも、「意識を変えれば絶対楽しくなる」ということを経験から得ました。

中西 この世のすべてのものは周波数でできていますが、波動が高いということは周波数が高いということなのです。より微細な周波数の中に低い周波数のものを入れると、手品みたいに消えてしまうのです。それは高次の周波数が吸収するからです。たとえ恨みや妬みの感情があったとしても、楽しくて優しい感謝に溢れた気持ちの中にいると消えてしまうのはそういうことなのです。

直感を大事にしていく

丹野 逆にお聞きしたいのですが、中西さんはどうやっていまのようなヒーリングの力を得たのですか?

中西 得たというのではなく、やらされたというのが正しいと思います。勝手に降りてきた感じです……(笑)。

当時、携帯電話の販売会社で働いていましたが、いろいろ不思議なことが積み重なり、結局そこをクビになってしまいました。そのあたりから、勝手にぐいぐいそっちに引っ張られていく感じでしたね。でも拒否すると強烈な腰痛がやってくるし……。否応なしにヒーリングをするようになって、導かれるように進んでいき、気が付いたら全国行脚が始まっていたのです。

丹野 すごい! やはり必要とされると勝手に広がっていくのですね。

中西 私は広げるための努力というものを何もしていないのです。次から次へとつながっていって。私の場合はそれがヒーリングでしたが、丹野さんにも同じようなものを感じたからぜひお話を伺いたくなったのです。

丹野 私も中西さんのお話を聞いて、怒られるかもしれませんが、「自分のことだ」という風に思いました(笑)。

被災地支援も何度も終わりかけたことがありました。でも本当に苦しんでいる人を見ると、突き動かされ、やらざるを得ないのです。すべてをやり尽くして、それでも無理か……と、諦めた瞬間に、新しい展開が起きるのを何度も経験しました。

中西 ディヴァインとはそういうものですよ。

丹野 そうですね。そういう経験をさせてもらっているので、何も怖くないです。世の中に必要なものなら必ず突破できるし、できなかったら必要のないものだったということですから。それがわかっているから新しい事業にも走り出せるのです。

いま、ドローンスクールを開講していますが、それも被災地支援がきっかけなのです。ドローンに赤外線を搭載して行方不明者などの捜索ができるのです。そうすると壁の中など、見えないところもわかるので、より捜索能力が増します。

もっとドローンの持つ可能性を広げたくて、それを操縦する人を育ててみてはどうだろう、という切り口で始めました。それが一気に全国で30校くらいできました。

中西 すごいですね!

丹野 それも感覚的には導かれたようでした。私はイメージを大事にするので、一瞬の閃きを逃がさないようにしているのです。人間って、枠の中で生きていますね。でも閃きは枠の外からやってくるものです。その枠の外からやってきたものは、経験的に絶対世の中に必要とされるものですし、やっていてワクワク、楽しくなるのです。

中西 わかります。丹野さんの発想の中には直感があって、理屈ではない。だから面白いんですよ。直感を大事にする生き方は、これからを生きる人類にとって非常に大事なことだと思いますよ。そのことを怖がらず、高らかに言う時代がもうそこまで来ていますね。

今日はお忙しいところありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2018年4月号掲載