2013年4月号
大きな傷跡を残した大震災。
本当に大切なことを教えてくれた

NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)

東日本大震災の爪痕は…

世界中を震撼させた3・11大津波から丸二年の今日(3/11)、この原稿を書いています。

自然災害とはいえ、あまりにも大きな災害でした。私は18年間陸前高田に毎月行かせてもらっています。災害直後の3月末から、ずっと復興の様子を見てきました。まるで爆撃にあった都市のように、津波はすべてを飲み込みました。瓦が礫れきの山と化した街、セミナー会場として15年以上にわたって利用させていただいた市民会館、毎月宿泊したホテルも無惨な姿のまま、置き去りにされていたのですが、ようやく解体の手が入り始めました。しかし、まだまだ復興は始まったばかりです。

家や店を失い全財産を一瞬にして失った人、職場が流され仕事を失った人、何より大切な家族を失った人など、その爪つめ痕あとはいまだ生々しくのしかかっています。

福島第一原発事故に至っては、放射能汚染の恐怖を全世界に陥れています。復興どころか、いつ第二、第三の事故が起きるかもしれない不安感に包まれています。全村避難に追い込まれた人々は、このまま二度と故郷に戻れそうもありません。

人類の思いが世界を創る

「外側で起きていることは、すべて、人々の内側で起きていること」

とは、バガヴァンの言葉です。それから考えれば、この悲惨な災害も人類の思いが創り出したということになります。もちろん一人の想念では、これだけ巨大な自然災害を創り出すことは難しいですが、人類全体の思いとなれば当然、創造してしまうことになります。

「あなたが夜に見る悪夢でうなされるとき、昼間の世界では、戦争が引き起こされている」(バガヴァンの言葉)

あなたは今、平和で喜びにあふれた状態で生活していますか? 人類全体がその状態になった時こそ、地上天国になる瞬間です。

震災で気づかされた思いやり

東日本大震災は人々に多大な損害を与え、今なお、その傷跡が残ったままです。福島第一原発事故の後始末のために莫大な費用がかかったため、国からの巨額な援助だけでは足りず、電力料金は値上げまでされました。結局、国民一人ひとりの負担によって処理する形になってしまいました。

しかし、人々の意識には、思いもよらない影響を与えました。それは、人生で最も大切なものは何か、ということに気づいた人が多かったことです。

こんな出来事があったそうです。陸前高田の市街地の瓦礫の処理をしていたら、老婆の溺死体が現れました。前のめりになって亡くなっていたのですが、その下には金庫を抱えていたとのこと。その金庫からは、お金が飛び出していたそうです。津波が襲いかかった瞬間、その金庫を命を賭して守ろうとしたかのような老婆の姿が、人々に「あわれ」さを感じさせたようです。

田中凡巳さんによれば、「日本人はなぜ長生きか」という研究がハーバード大学で研究されたそうです。その結論はとても興味深いものでした。食生活など従来から言われて来たもののほかに、もうひとつ要因があるのではないか。それは「思いやりの文化だ」というのです。研究チームは、東日本大震災の際、被災者たちが当たり前のように助け合う姿を見て、そう結論づけたようです。

確かに、スーパーマーケットの商品が散乱しているのを、大勢の被災者たちが手伝って売り場に並べ、その後、販売開始まできちっと列をつくって待っていたというケースもありました。

また津波から逃れて、スーパーマーケットの屋上へ避難した人たちは店内の百円ショップで売っていた商品で餓えをしのいでいました。しかし、そのすぐ隣のホテルの屋上には逃げ延びた十数名の人たちが何も食べるものがない。そこで、自分たちの食べ物を分けてあげたようです。

避難所で見ず知らずの人たちがともに暮らす中でも、お互いに助け合う姿が日常茶飯事のように繰り返されていました。

世界の国々で、もしこんな災害が起こったら、助け合うどころか略奪や暴動が起こるのが当たり前です。日本人に深く根付いている思いやりの文化が、世界中の人々に感動を与えました。

涙から笑顔へ…本当の宝物

冒頭に書きましたように、私は毎月、陸前高田市、大船渡市に伺います。被災直後に全国から集められた支援物資を届けに行ったときのことが忘れられません。会場の明るさでは全国で一番と言っていいほど、優しさとほがらかさに溢れた人たちから笑顔が消え、緊張と恐怖でいっぱいな表情でした。車も使えない中、長い距離を歩いて来てくださっていました。地元の人たち同士も久々の再会で、大声で泣く姿があちこちで見られました。その姿を見て、私は内側である決意をしました。「この人たちの顔に笑顔を戻さねば」。へたなダジャレや、冗談を連発しているうち、ついに人々があまりのくだらなさに笑い出したとき、会場内で大泣きする声が響き渡りました。それは佐々木貴利子さんでした。

「やっと泣けました。今、避難所にいます。泣きたかったけど、家族や家をなくした私よりずっと泣きたい人たちが歯を食いしばって頑張っているのに、私が泣くわけにいきませんでした。みんなの笑顔を見たら、やっとほっとして泣けました」

なんと優しい思いやりの人なんでしょうか。

「本当に大切なものは、お金や物じゃないんだね。人間同士のつながりこそ宝物なんですね」。大和田あけみさんのつぶやきが、今も耳に響いています。

(合掌)