音楽療法を通して、障害を持つ子どもたちに言葉の学習を教えている竹森さん。はじめた頃は5~6人だった教室も、彼女の情熱がうわさを呼び、いまでは200人以上の子どもたちが歌う喜びとコミュニケーションの仕方を学んでいます。
子どもが笑顔になり、お母さんが笑顔になることを目指して
対談:竹森若緒さん×中西研二
竹森若緒(たけもり・わかお)●堀田喜久男先生のメソッドを用いた障害児のことばの教室「ことだま塾」を主催。講師活動をしている。
中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来24年間で21万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は8名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。
長年のヒーリング活動が評価され、2015年に『東久邇宮記念賞』を、同年『東久邇宮文化褒賞』を受賞。
著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。
日本語はとてもリズミカル!
中西 音楽を使った言葉の学習で、独自のメソッドを使われていますが、どのようなものなのですか?
竹森 もともとは「堀田メソッド」という堀田喜久男先生の音楽療法が基礎になっていて、それをもとに独自のカリキュラムや教材を作ってやっています。
中西 どんなメソッドですか?
竹森 私たちは日本語をとても感情豊かに使っていますが、音にすると「ソ」と「ラ」の2音で構成されています。
日本語の抑揚は高低アクセントです。ピアノで右手は言葉の抑揚を左手は「わらべ歌」のリズムで伴奏し歌います。
例えば「こんにちは」は「ソララララ」。「ケビン」は「ラソラ」です。
中西 ケビン…ラ・ソ・ラ。なるほどね。
竹森 そうです(笑)。
さらに手拍子や楽しい手遊びの模倣をつけて歌います。
方言であっても日本語の抑揚は「ソ」と「ラ」の2音と、とてもシンプルで誰でも弾けて歌うことができるという点が最大の特徴です。
どんな言葉も歌にのせて発語を促す楽しいメソッドです。
中西 言葉の習得に歌はとてもいいということと、歌いやすい歌を即席で作るということですね。
具体的にはどういう感じですか?
竹森 行動と言葉の一致を習得してもらう時は「いーすにすわる。けーんじくんがすわったー」「ソーララソララ。ラーソソソソ ソララー♪」という歌をうたいケンジ君に座ってもらいます。
「ボールをおかたづけー。けーんじくんがおかたづけー。」と歌い、おかたづけを促します。
私の教室に来る子どもたちは、自閉症の子やダウン症の子、身体障害を持つ子の中でも言葉の獲得の少ない子ども達です。障害が合併している子もいて一人一人違います。日々模索しながら、その子にとって一番いい教材を作ったり、その子に合わせた表現方法を見つけながら進めてきました。
中西 きっと教室で得た言葉も、表現の仕方もさまざまなのでしょうね。
竹森 言葉の教室ですが、声に出すことだけが言葉ではないと思っています。
指が動く子は写真・イラストなどの指差しを。模倣(ジェスチャー)ができる子は模倣を。
「あ」しか出ない子は「あ」を活かして。
心を表現させてあげることが言葉を引き出すことだと思います。
中西 なるほど。伝達の方法はいろいろありますね。
竹森 漢字も教えています。「てーくてーくあるくー」「ぱーくぱーくたべる」と、漢字カードを使って歌っていき「あーるーくー♪とって?」と子どもたちと勉強します。
ある日、身体の不自由な子にもカードが手に届く所まで連れて行き、数枚あるカードを指して「あるくどーれ? トントンしてみて?」と伝えたところ、少し動くその手を動かし「あるく」カードを「トントン」と叩いたのです。
お母さんは扉の向こうで涙ぐんでいらっしゃいました。
中西 わかっていたのですね。
竹森 わかっていたと思います。「先生、僕もできるよ」って心で叫んでいたと思います。
お母さんたちは、「楽しいね」「悲しいよ」など、どんな言葉でも彼らの心の声が聞きたいのです。どんな表現方法でもいい、それが彼らの思い、心の声だからです。
お母さんが笑えばみんなが笑う
中西 漢字も勉強しているというのは驚きました。
竹森 漢字だけでなく、その子は何が得意なのかを見つけることが、将来の彼らの可能性を広げることに繋がると思います。
以前、生徒のお母さんたちが「高校を卒業すると見捨てられる感じがするよね」と話しているのを聞きました。「どういうこと?」と聞いてみると、「今まで通っていたサービスや施設に行けなくなったり、暗黙の了解で親が仕事を見つけてくるとか、無理なら家で親がみる。親の会で作業所を作ってそこに通うかだもの」と、当時はそんな答えが返ってきました。そして、最後は自分たちが先立った後のことを切実に考えているようでした。
それで、少しでも彼らが教室に通ってくれる間に、仕事に繋がる適正や、自分を表現するものを習得して欲しいと思っているのです。
積むのが好きな子はレンガで塀を。並べるのが好きな子は食事の盛りつけや、花壇の花植えを。
言葉がなくともパソコン操作の上手な子もいます。漢字の学びも可能性のひとつになればと思います。
中西 竹森さんがこの仕事をしようと思ったきっかけは何だったのですか?
竹森 私は子供たちに言葉や教育をと念頭に置いていますが、本当のきっかけとなったのはお母さんたちへの思いでした。自分の子供に「ママ」と呼んでもらっていない方がいる。それが同じ母親という立場の私を奮い立たせたのだと思います。大きなチャレンジを持った子どもの母になることだけでも不安だったと思います。どうか「ママ」と呼ばれて欲しい。そして、お母さん達に元気になって欲しい。
ですから、お母さんたちともたくさんお話をします。
はじめは笑顔が少ないお母さんも、「こんなことができたよ。あんなこともできるね」と話していくうちに、その子のすばらしさ、尊さがみえてきます。するとお母さんたちに変化が訪れます。
「お母さんに笑顔が多くなったわ。お洋服がカラフルになったわ」そう感じると、私の心はわくわく嬉しくなります。やっぱり、お母さんは家族の太陽ですから眩しいほどに輝いていて欲しいです。
中西 すばらしいことですね。
ケビンとの出会い
中西 JOYヒーリングの会に入会されたきっかけは何ですか?
竹森 ケビンを知るきっかけになったのは、自傷の激しい子どものためでした。
小学校のころから自傷行為があり、叩かないように手をタオルで覆ったりするのですが、そうすると今度は膝で自分の顎を蹴るんです。
5年後再開した時も彼の頭にはプリン大の大きさで鬼の角のようにふたつ、叩き続けて腫れ上がったコブが痛々しくありました。
彼のために何かできないのか。私は探し続けていました。
そのときです。ケビンのホームーページに出会ったのは。ヒーラーにしていただき、ディクシャギヴァーにしていただき、遠隔で彼に送り続けました。
それから一ヶ月半後、彼のもとを訪れた時、頭部にはコブが無くなり髪も綺麗に生え揃っていました。嬉しくて本当に嬉しくて。
言葉で自分を表現できない多くの子どもたちの悲しみ、苦しみにもケビンのヒーリングとディクシャは安心と癒しを与えてくれていると、日々感謝をしています。
中西 竹森さんのしていることはとても重要なことで、日本の社会だけでなく、世界中に広がっていくといいですね。
「言葉の習得」という意味で、あらゆる可能性を秘めています。これからが楽しみです。
今日はお忙しいところありがとうございました。
(合掌)