JOYヒーリングの会と深い絆で結ばれているパンチャ・ラマさん、サラバン・ラマさんの故郷・ネパールの壊滅的大震災に、皆さんからたくさんの温かいご支援をいただきました。弟のサラバンさんは震災後すぐに、日本の皆さんの想いを現地に届けてくださいました。筆舌に尽くしがたいほどの悲惨な現実を前にしたサラバンさんは、これからも末永い支援が必要と語ってくださいました。

ネパール大震災後の現状
時代の激しい変化を
祈りに変えて…

パンチャ・ラマ氏 サラバン・ラマ氏×中西研二

パンチャ・ラマ●1970年ネパール・サララヒに生まれる。85年にプロとなり「バンスリの天才」と称される、ネパールを代表するミュージシャン。インド、台湾、タイでもコンサートツアーを開催。94年来日。「大阪花博」「国際協力フェスティバル」等で招待演奏。テレビCMにも出演。96年『チョウタリ バンド』を結成し、1stアルバムCD『チョウタリ』は、今なお、ネパールの人々に愛されている。02年さだまさしのCDにも参加。ジャンルを越えたセッションで世界のミュ-ジシャンと共演。02年「チャリティコンサート」を開催し、03年収益金でネパール・サララヒに小学校を建設。07年NHK BS1に出演しこれまでの演奏活動が紹介された。ヒマラヤの大地に育まれた彼の音楽は、「大らかで素朴」「自然の空気の美しさに満ち溢れている」
サラバン・ラマ●1993年に、首都・カトマンドゥへ上京し打楽器の勉強を始める。98年、イラバードサンギート マハビダヤ大学院・音楽科を卒業し、コンサート、ラジオ・スタジオのレコーディングで活躍。01年来日。以降、兄パンチャ・ラマと共に日本で活動。ネパール多民族の持つ「数百通りのリズム」に精通。世界のミュージシャンとも意欲的に共演している。

中西研二(なかにし・けんじ)●1948年東京生まれ。NPO法人『JOYヒーリングの会』理事長。有限会社いやしの村東京代表取締役。ヒーラー。ワンネスメディテーター。新聞記者、セールスマンなどさまざまな職業を遍歴の後、1993年に夢の中でヒーリングを伝授され、以来20年間で20万人を超える人々を癒し続けている。また、2004年9月にワンネスユニバーシティでワンネスディクシャという手法を学び、以来、この手法を通して、多くの人々がワンネスの体験を得る手助けをしている。2012年2月には、日本人のワンネスメディテーター6名(現在は7名)のうちの一人に選ばれ、以降ますます精力的に活動している。著書に『そのまんまでオッケー!』『悟りってなあに?』『あなたはわたし わたしはあなた』(共にVOICE刊)がある。

支援の手が届かない壊滅状態の山間の村

中西 ネパールで4月25日に大震災があり、世界中が驚きました。会員の皆さんからもたくさん支援をいただきました。

パンチャ ケビンとJOYヒーリングの皆さんからずっとパンチャ・イサカ学校をご支援いただいています。今回も地震が起きてすぐに行動していただき、本当に感謝しています。

中西 サラバンさんは震災直後に現地に入られていますが、被災状況はどうでしたか。

壊滅状態の村を歩く

壊滅状態の村を歩く

サラバン 僕は4月30日にネパールに戻りました。パンチャ・イサカ学校の様子が気になっていたのですが、幸いにも学校の被害はそれほど大きくなく、数カ所の壁のひび割れとキッチンが壊れた程度のようでしたから、ひとまず安心しました。

しかし山間部に支援の手がまったく届いていないところが多いと聞き、皆さんからお預かりした義援金を本当に困っている人々に使わせていただこうと、山間にあるシンドゥパルチョク村へ行きました。

車も物資も手に入りにくい状態でしたが、何とかトラックを一台チャーターして、閉まっている店に交渉して米、塩、油、ビスケット、ラーメン、テントなどを手に入れて村に向かいました。山道には何カ所も崖崩れがあり、やっと辿り着きましたが、目の前の光景を見て愕然(がくぜん)としました。村は壊滅状態で住むところもなく、村人はみな放心状態でした。

中西 そんなにたいへんな思いをして、義援金を届けてくれたのですね。

いちばんの問題は国民が恐怖していること

まだ不安でいっぱいのおばあさんの肩を抱いて

まだ不安でいっぱいのおばあさんの肩を抱いて

パンチャ ネパールはいままであまり大きな地震を経験したことがなかったので、今いちばんの問題はネパールの人たちが地震を恐れていることです。

それから多くの学校が倒壊して、子どもたちが学校に行けないこと。さらに人身売買の問題も起きています。田舎からカトマンズにだまして連れてこられて、隣国のインドに売られてしまう。みんな精神的にダメージを受けていますから、これからはお金の支援と並行して、心の支援もしていかないといけないと思います。

中西 復興の様子はいかがですか?

パンチャ 街のほうは徐々に戻ってきています。しかし、山間部は道が崩れていて車も通れないので、どうしてもヘリが必要ですが、ネパールにはヘリが2機しかないようなのです。だから山間部の人は本当に困っています。

中西 困るってレベルじゃないですね。だから人身売買のような問題も発生するのですね。

パンチャ はい。こういうときこそ助け合いが必要なのに、弱みにつけこむ人もいるのです。

義援金はいちばん困っている人のところへ

救援物資を配る

救援物資を配る

中西 しかし今、世界中から支援があるのでしょう?

パンチャ はい。支援していただいているのですが、まだまだ足りない状況らしいです。日本にいるネパール人たちもいろんなところで募金を募り、支援しています。でも、どこの国でもあることなのですが、受け取った義援金が本当に困っている人々のために使われているかが分からなくて、外国に住んでいるネパール人にとって、そのことがいちばん気になるところなのです。

中西 そうすると、結局、自分で現地まで持って行くしかないということですね。

サラバン 皆さんからの義援金は、村の学校とも連絡を取りながら、いちばん困っているところへ精一杯復興の応援を続けていきたいと考えています。

パンチャ 日本も東日本大震災後4年たちますが、いまだに復興の途中ですから、ネパールもすぐには復興できないと思います。特にネパールは支援金の使い方や復興の仕方などが日本より下手なので、これからも、できるところで支援を続けていこうと思っています。

中西 ぜひそうしてもらいたいですね。

チョウタリバンドとして救援物資を用意。トラックで運ぶ

チョウタリバンドとして救援物資を用意。トラックで運ぶ

パンチャ ネパールは地震がほとんどなく、日本に来た当初は地震が多いのでとても怖かったのですが、やっと慣れてきたところで東日本大震災が起き、そしてまさかネパールにも大きな地震が起きるとは。どこで何があるかわからないので、祈りに変えて生きていくしかないですね。

中西 ネパールの人たちを元気づけるためにも、ぜひ演奏活動を続けてください。私たちもできるだけ応援します。

パンチャ たぶんJOYヒーリングの会の仲間たちに会えなかったら、パンチャ・イサカ学校の運営は止まっていたと思います。

中西 私たちもまだまだできる限り応援したいと思いますので、これからも頑張ってください。今日はありがとうございました。

(合掌)

「いやしの村だより」2015年8月号掲載