2013年12月号
すべてを聖なる存在に委ねて
人生のすべてを楽しむ

NPO法人JOYヒーリングの会理事長・ヒーラー
中西研二(ケビン)

知っていることと、解っていること

最近、私の中で心境の変化が起きています。といっても、何か新しいことに気づいたのではなく、マインドを観察していたら、「私」の中にある種の反応の傾向があるということに気づいたのです。それはまず、外側の世界に起こることにすごく敏感に反応していることでした。内側にはほとんど向かわず、まるで感応式の信号機のように自動的に感情や思考がやってきて、心を支配しているのです。

もちろん、前からそのことには気づいていましたし、バガヴァンも教えの中で何度も伝えてくださっています。私自身も20年前に始めたセミナーの中で、このことを伝えています。ですから十分に理解しているつもりでした。知っていることと、実際に解ることとは「月とスッポン」ほど違います。

例えて言えば、あなたの家の近くや、よく通るところにレストランがあったとします。あなたはその前を通りかかりますが、入ったことはありませんでした。ところが、たまたま見たテレビ番組でレストランが紹介されていて、その中で、そのお店が紹介されていました。

「へえ、そんなに有名な店だったんだ」と思い、さっそく行ってみることにしました。番組内でタレントさんが食べていた品を注文し試食してみると

「なるほど美味しい」

それから、よくこのお店を利用するようになりました。

あなたにもそんな経験がおありでしょう?知っていることと解っていることの違いは、そういうことです。

自由意思ではなく、必然的に与えられた自分の人生

「私」の思考(反応?)の癖は、喜び、悲しみ、怒り、不安、心配、恐怖の原因をすべて自分以外の他人の中に見ようとすることでした。これはほとんどすべてを支配していました。きわめて日常的なことから、家庭、職場での出来事、さらにスポーツから、社会面をにぎわすさまざまなニュース、政治問題にまで波及していました。自分で直接関与していないことに対しても、すべてにわたってそうでした。

日常的な「私」の生活に存在する物ごとは「私」の責任といえるでしょうが、それさえもすべて、関わりのある人々が原因で起きていると思っているということでした。

そして、内側で絶え間なく存在する「良い」「悪い」のジャッジ、競い合い、どちらが優秀か、どちらが社会的地位が上か、財産がどれだけあるのか、ないのか。どちらが背が高いか低いか。どちらが美男子か、美女か、などなど。よく見れば「私」たちの生きるあらゆる場面で、他人との比較を行ってきました。

この世界は、本当に不思議な世界ですね。あらゆる成功者たちは、ひとつの法則があることに気づいています。それは、

「認めるものが現れて、見つめるものが拡大する」

という、宇宙を支配する法則です。「あなた」や「私」に起きていることは、すべて、「私たち」の心が認め、見つめ続けた結果として現れている、ということです。もっとも、あなたが生まれたときの時代や環境、ひいては両親、人間関係などは、あなたがまだ物心もついていなかったのですから「認めても、見つめてもいない」と言えます。ところが、そうではないのです。

産婦人科医で池川明先生という方がいらっしゃいます。生まれる前の記憶を長年、幼児から聞き取り調査をしていますが、その研究の成果によれば、生まれてきた子どもの1/3は生まれる前の記憶を持っている、とのことでした。

「雲の上で神様と一緒に遊んでいると、雲の中の小さな窓から下が見れるんだよ。それでお母さんとお父さんを決めて出てくるんだよ」

というのが大半の子どもたちの記憶でした。ということは、私たちは親を選んで生まれてくることになります。さらに言えば、時代も、それにまつわる人間関係も選んでいることになります。

しかも、選ぶというと、そこに自由意思が働いているようですが、そうでしょうか? 前出の子どもたちの証言では、雲の中の小さな窓からお父さん、お母さんを選ぶ、となっています。つまり自由意思ではなく、必然的にこの人生が与えられたということです。

体験することだけが、人生に与えられたもの

人は10種類のヴァサナ(かつて生きた人生の香り)をつけて生まれてくるとシュリ・バガヴァンは言っています。つまり「私」になった瞬間に運命は定まっており、体験することだけが、人生に与えられたものだということです。ちょうど、映画を観ているようなもの、ということになります。

アウェイクニングとは、この定まったドラマの最大の意図(アウェイクニング≠主人公〈人〉)だということに気づき、すべてを聖なる存在に委ねて、人生のすべてを楽しむことなんだと、気づいたのです。政治、経済から原発汚染、津波、竜巻、台風、洪水、干ばつ、あるいは「私」にふりかかるすべてを楽しんで体験していきます。

(合掌)