不思議なおじさん中西研二の波乱万丈、涙と笑いの人生から学ぶ「人間っておもしろい」

不思議なおじさん中西研二の波乱万丈、涙と笑いの人生から学ぶ

「人間っておもしろい」

第2回 遊びの天才の能力がみごとに花開いた日々

いじめっこ短足少年…さなぎから蝶へ

みんなから短足と言われることが悔しくて、喧嘩ばかりしていた5年生の研二は、ある日の放課後担任に呼び出された。

すっかり大きくなったケン坊!

すっかり大きくなったケン坊!

その日に担任が行った、「クラスの中で一番好きな人と一番嫌いな人」を書きなさいという調査の用紙に、クラスの全員の名前を嫌いな人の欄に書いていると先生から「一人ぐらい好きな人はいるだろう? 誰でも良いから書いてみなさい」と言われ、しかたなく『A』というクラスメイトの名を好きな人の欄に書いておいた。そのことで担任から呼び出されたのだ。

「おい、中西これを見てみろ」と研二が唯一好きな人と書いた『A』の用紙を手渡された。なんとそこには、好きな人の欄には研二を除くクラス全員の名前が書かれており、嫌いな人の欄には『中西研二』と書かれていたのだった。「お前が嫌うからみんなが嫌うんだ。少しは人を好きになってみろ」という先生の言葉に「そんなこと言われても、嫌いなんだから仕方ない。しかしAに嫌われるなんて許せない」と思った。ただAの回答がショックだった。(Aとは後に大親友になった)

見よ!自慢の短足を

見よ!自慢の短足を

そんな調子で喧嘩三昧傷だらけの研二も、やがて中学生になったが相変わらず「短足」と言われては相手をぶっ飛ばす日々を送っていたある日、またもや先生に呼び出された。

後に研二にとって生涯忘れられない言葉をかけてくれた田中先生である。ふてくされた顔で職員室に行くと、先生は研二の姿を頭のてっぺんから、足のつま先までジロジロと眺め、こう言った。「おまえ、本当に足が短いなぁ!」「な、何だと!?」

ムッとして殴りかからんばかりの研二に「まぁ、待て。落ち着いて考えてみろ。お前と俺とどっちの足が長い? 俺のほうが長いだろ。おまえのほうが確かに足は短いが、それだけのことだ。おまえが劣っているなんて言っていないぞ。お前はリレーの選手だし足は速いじゃないか。人一倍運動能力だってある。それなのになにを卑下しているんだ。お前よりも足が短いやつはいくらでもいるし、どんなに足が長くても、キリンには敵わない。たかがしれた世界だ。むしろその特徴を生かしてみんなのアイドルになってみろ」その説得力のある言葉に研二ははっとした。「そうか!この短い足を生かすんだ」その日から60歳になる今日まで、「短足」は研二のトレードマークとなった。

東京タワーの前でチーズ!

東京タワーの前でチーズ!

今まで乱暴者と恐れていたクラスメイトとも仲良しになり、高校生になって生徒会長もやった。卒業アルバムのクラブ活動の写真すべてに研二の顔が収まっているほど引っ張りだこの人気者で、たくさんの人に愛される存在となっていった。そのころ夢中でやっていたのは、『青少年赤十字奉仕団』という奉仕活動だった。持ち前の素質はどんどん生かされ、高校生のリーダーから、やがて大学生をも束ねるリーダーになっていった。高校3年生の時には日本で初めて献血キャラバンをやった。血を集め回ることに夢中だった研二のあだ名は「吸血鬼」。「人に喜ばれることが大好き。役に立つことがうれしい。何かおもしろいことをしよう」楽しい企画をどんどん考えて、後輩たちをおおいに楽しませた。それも普通ではつまらないから、考えに考える。すべてに真剣だった。まさに遊びの天才の能力がみごとに花開いた日々であった。

やがて大学生になった研二は、そこであの有名な70年代安保闘争に命を賭ける学生運動家のリーダーへといざなわれていくことになる、ある事件に遭遇するのであった。

(つづく)

2009年09月15日掲載